2009年6月 1日 (月)

音楽をもっと楽しみたい

 楽器は演奏して楽しむものであるが、音や音楽を聴いて楽しむ立場もある。音楽を聞いて楽しむ場として、オーディオやテレビで音楽を聴く場合やコンサートホールで音楽を聴く場合や小さな演奏会の会場では特に音響装置もなくそのままの音場の特性で聴く場合などがある。また野外でコンサートを聴く場合もある。また競技場でのスポーツ観戦においては、音響的な配慮は乏しく、音響的な臨場感はほとんどない。野外で、虫の音や鳥の囀りを楽しむのにもそのための支援のツールがないのが実情である。音響的により良い音を検知する方法が求められている 。

オーディオやテレビで音楽を聴く場合は、一般の家庭では従来行なわれてきているスピーカーシステムで聴くかヘッドホンやイヤホンで聴くのが通例である。音場支援の方法は主に残響を付加して制御する方法として提案されているが、音源の音色を豊かにする方法としては確立しておらず、音響的な違和感のために装置の普及は図られていない。

最近、音楽療法として癒しのために音楽を聴かせることが行われるようになっているが、その音楽を提供するシステムは必ずしも理想的なものになっておらずその効果は十分なものになっているとは言い難い。

コンサートホールで音楽を聴く場合は、PA装置による支援が行われるがそれは演奏性を損ねるばかりか個々の聴衆にとって必ずしも良い音色で届いているわけではない。クラシックコンサートなどではホール音響の特性の影響を受けて必ずしも満足のいかない音楽を聴くことになる。小さな演奏会の会場は特に音響装置もなくそのままの音場の特性で聴く場合がほとんどである。

高級乗用車にオーディオ装置が組み込まれていてFMラジオやCDで音楽を聴くが、乗用車の内装は吸音性が高く静かではあるが音響的には良い響きで明瞭な音色とはいえない。

 最近、ビルの一角に小規模の映画館が設けられ映画を楽しむ場として定着してきている。しかしその音響設備は従来のスピーカーシステムによるもので臨場感に乏しく映像と調和しない音響である。

ここでは音波の周波数帯域を仮に500Hz以下を低域、500Hz~2kHzを中域、2kHz~8kHzを高域とする。音波に含まれる高調波成分や高域の音は音源またはスピーカなどの発音体から空気中に放射されると音場空間で反射板や壁などに反射されつつ伝搬して、吸音され、減衰して耳に届く。従って実際には音源や発音体の近傍の音質と比べて高調波の少ない音を聞くことになる。特に打撃音や発音時のノイズ成分は弱くなり音の立ち上がりや過渡的な音は伝わりにくくなる。結果的には臨場感の乏しい音像のはっきりしない、広がり感の少ない音を聞くことになる。ここでは音や音楽を聞く音場でのこうした問題点を改善することが課題となる。最も音域が広いピアノの演奏においても高域の音は聴者には伝わりにくい。ピアノのみならず一般に、楽器の音には高調波成分が多く含まれており、基本周波数成分に対してほぼ整数倍になっているが、この高調波成分は音の立ち上がりに多く含まれ、比較的速く減衰するのでやはり聴者のもとには届きにくい。何故コンサートにあしを運んで生演奏を聴くのかというと、何が起こるか解らない緊張感とその場にいたという特別感であってホールで聞く生演奏が音響的に素晴らしいからというのではないのである。

音を音響的に良い音色として集音して聞くために、このような特徴をもつ音を音源にいかに忠実に、どのようにして捕捉して特定するかが課題となる。しかも時間的な変動の特徴をいかに厳密に捉えることが出来るかが問われる。こうした課題の解決法を示すことにより、音の波動が空気中を伝搬して耳に到達して聴覚によって捕捉され享受される過程をモデル的に示ことができる。従来の難聴を補助するための補聴器ではなく、健常者にとってもっと音空間を楽しむための言わば、「音楽器」(音を楽しむ仕組み)が求められるところである。

そこで筆者は、課題を解決するための手段として、「ほぼ整数倍の周波数成分に共鳴する、開口部を有するテーパー状の共鳴管アレイをマイクのキャップとして装着する捕音器で集音して、アンプで増幅して開放型のイヤホンを耳に装着して、直接音とともに聞くことを特徴とする音の享受システム」を提案する。捕音器はキャップ状に形成され、例えば小型のコンデンサーマイクにマイクキャップとして装着されるものである。捕音器はほぼ整数倍の周波数成分に共鳴する、開口部を有するテーパー状の共鳴管アレイからなる。アレイを構成する共鳴管は中心がほぼ180度の直線状で同じ長さの共鳴管と連接してキャップ部でマイク端面に繋がる。共鳴管の長さは最長をLとすると最短はL/2でその間を12分割してキャップの全周囲に放射状に配置して共鳴管アレイを構成する。イヤホンの変わりに小型スピーカを配置しても良い。

このシステムの産業上利用可能な分野として、家庭でオーディオやテレビで音楽を聴く場合への適用が可能である。この方法に依れば簡便な捕音器の効果によって良質な音楽を楽しむことができる。音楽療法として音楽を聴かせる場合への適用が可能である。

コンサートホールで音楽を聴く場合への適用が可能である。特別席でなくてもそれ以上に上質な音楽を楽しむことができる。ホールの音響設備として多チャンネルのイヤホンを常設することも出来る。壁面に複数この小型スピーカを配置することもできる。

高級乗用車での音楽のリスニングシステムへの適用が可能である。野外でコンサートを聴く場合への適用も可能である。競技場でのスポーツ観戦において、音響的な臨場感を楽しむこともできる。野外で、虫の音や鳥の囀りを楽しむのにも有効である。高質の音楽は牛の搾乳促進や高級肉用和牛の飼育にも有効であろう。又、酵母の発育促進にも効果があろう。旨い日本酒やワインができると良いのだが。

            

                2008年 晩秋のころ   村上 和男

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2009年2月13日 (金)

楽器の音の評価 ・・・(2)

         永井洋平    (2004.5.20.)

                                            

前に、音の良さの評価は最終的には機械には出来ないので人間が行うべきものであるが人間にもいろいろの弱みがあることを述べた。

ではどのような工夫をして人間と機械を使って評価することが望ましいか考えてみよう。

まず人間による評価における留意点だが、まず前回述べた人間の欠点が出来るだけ少ない人(感覚検査用語で「良質のパネル」という)を評価者に選ぶこと、つまり評価に安定性があり(同じテストで同じ評価結果を出す)、分解能も高く(微妙な違いも検知出来る)、評価の妥当性がある(その人が良いとするものが市場でも受け入れられる)能力が高い人である。一流音楽家でも良い評価者ばかりとは限らない。音楽家はメーカーから見れば大切なお客様であるからめったに本人の評価の信頼性をチェックするテストを行ったり、また行ったとしても結果についてはその人自身には報告しないのだが、時には結果を知らされて本人も自分の評価力のなさを知って驚いたり落胆する場合もある。このことは一流音楽家の言うことは信用できると思っている一般の人はもとより楽器メーカーの中でも信じてもらえない場合が多いのだが本当のことである。何とか正しい評価をしようとして頑張って私と同じような経験をした人だけがこれを読んで「そのとおり」といってくれるように思う。

一般には楽に済ませたテストで、通り一遍の結論を出し評価者、研究担当者ともにハッピーで、簡単に仕事完了としてしまうことが実に多い。このような仕事が積み重ねられても本当の進歩はなかろう。神様からみたら真実に到達していないし、あるいは社長や経営者からみたら研究費の無駄遣いだ。このようにして出した結論はもともとアテにならないのだから、次の追試でひっくり返りどうもオカシイ、分からないということになる。

信頼度が高い官能データを取るためには、奏者、研究担当者がともに苦しんでしんどいテストを繰り返して信頼性を上げる必要がある。評価のための費用もかかるが得た結果がいい加減なために全体費用が無駄遣いに終わることと比べたら雲泥の差だ。

次に、コストのかかる人間評価を出来るだけ機械を使って補う努力をすることを忘れてはなるまい。人間の弱みを補う意味で、信頼の置ける有効な科学的データをとるように工夫し、技術力をあげて行くことはもちろん必要である。

耳に入る音響信号自身のデータだけでなく、音響に関与する振動その他の物理データは、その試作を行った目的、つまり何を知りたいから試作して確かめたのかを明確にしてその目的の特性が実際にどうであったかを知るために必要である。測定により物理現象を定量的に捉えておくことが出来れば試作で取り上げた要因に関する効果を抽出するために大いに役立つ。この面でのメーカーの競争力は担当者が日頃、的確な技術的着眼力と測定技術その他の技術力を総合的に磨いているかどうかにかかってこよう。

メーカーがいかに正しい評価を効率的に行えるか、つまりメーカーの評価力は楽器研究力の基本であろう。正しい評価が出来なければ試作の成果はゼロである。

(以上)

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2009年2月 4日 (水)

楽器の音の評価 ・・・(1)

           永井洋平     (2004.3.13) 
                                     
(前回のメッセージでは初期の管楽器の開発過程を述べその中で重要事項のひとつに評価力があることを述べた。今回はその続きの話をしてみよう。)

楽器の改良する仕事は、ある着眼や発想に基づいて試作品を作る段階がある。試作品が従来品と比べて改善されたのか、残念ながら却って改悪されてしまったのか、同じなのか、どのくらいどの性質が変わったかなどをきちんと評価せねばならない。評価が出来ないことには仕事は完結しない、つまり目的を達成しないといっても良い。

しかし実際に経験することはこの評価段階でのつまづきが多い。つまり十分な評価をせぬままその仕事は終わったということにしてしまっている。経営的に見れば研究費がもったいないのだが、たいがいの場合は社内にそれを追求出来る目と権限を持つ人がいないので見過ごされて表にはでないという実態であろう。

最善の評価を考えるにあたり、まず銘記すべきことは評価をするのは機械ではなく人間であるということを知らねばならない。

楽器が出力する音楽がどのくらい良いか、つまりその楽器の音の良さは機械による測定ではなく人間が耳で聞いた結果で決めることには誰も異論はなかろう。測定データから良い音のハズであることが推定されることはあり得るが、最終的には人が良かったと思う音が良い音なのだ。確かに機械は評価に関しては決定権を持たない。一方、測定器としての人間にも大きな弱みがあることは看過できない。

人間の弱みとは何だろうか。まず、好みの個人差がある。Aさんが良いと評価したものがBさんやCさんにとっても同様に良いという結果がいつも得られるとは限らない。さらに評価分解能の個人差がある。AさんとBさんがが評価対象のXとYの間に違いを見出せない、或いは無視し得る程度の差しかないとしてもCさんにはXとY間に大きな違いがあると評価するかも知れない。また同じ人間でも安定性に欠ける。つまり、本日の評価をした人間が体調や気分が変わったときに、同じテストを後日行ったときに同じ結果を再び出すとは限らない。先に人間だけが評価が出来ると述べたが、実は人間には欠点だらけなのだ。(次回に続く)

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2008年12月 3日 (水)

楽器研究という世界 ・・・・(4)

  -(楽器創造館HP:http://homepage3.nifty.com/mikms/から抜粋)-

4.楽器研究の実用性

確かに研究活動は世界で活発に行われている。しかしその成果が楽器ビジネスに活きたものは数多いとは云えない。しかしどんな分野でも研究が実用に結びつく確率は高くはないと考えれば特別に嘆くことではないと思う。

ヤマハでの例を挙げれば一九六八年ごろにコンピュータを使って管楽器の音程を正しく設計する技術を開発したときにもバッカスやベネイドの先行研究をまず学びそれと独自の研究成果を組み合わせた。ピアノ弦の設計においてもヤングやフレッチャーの論文に基づき振動の非調和性の定量計算を行ったり、ワインライヒの複弦振動の位相関係論などを参考にしたこともある。

( 写真1.ピアノハンマーが打弦した瞬間の弦の形状。縦方向に二十倍に拡大されているので弦は太くハンマーは細長く映っている。(by Nagai) )

( 写真2.パイプオルガンの発音時の空気振動流が形成される様子(by Verge) )

この二枚の写真は肉眼では見えない高速現象の可視化に成功した例である。物理理論の構築、さらに楽器改良のアイディアの着想のために有効な研究結果と云えよう。

ベルリン工大のクレーマー教授は楽器研究のパイオニアの一人であり一九五〇年代からパイプオルガンの原理、バイオリンの物理特性を科学的に考察している。筆者は彼の研究室に半年間滞在し共同研究も発表させていただいたことがあるのだが本質をついた考え方に多くの感銘を受けた。日本でもこうした研究の先人たちに刺激され影響を受けその後の独自研究を積み重ねて実用に繋げてきた歴史がある。

コンピュータ音楽の作品を発表したり、ディジタル型電子楽器への応用技術が紹介される場の代表例としては前記のICMC(国際コンピュータミュージック学会)がある。一九七六年に第一回がMITで行われ、それ以来毎年世界各国で開催されている。ディジタル音楽の父と言われるマシューズやリセは当会の創立時の主力メンバであり一九八〇年代を中心にヤマハ電子楽器に大幅に採用されたFM楽音合成技術発明のチョウニングなどもこの学会でよく発表していた時期があった。近年は日本人の参加も急激に増えている。

( 写真3.第一回ICMC学会(一九七六年)におけるパネルディスカッション風景、右からアレン、マシューズ、バーコーと初期のディジタル楽音発生技術のパイオニア達が並ぶ。 )

5.まとめ

楽器の改良研究についての現状とこれまでの成果について簡単に表現するとすれば次のようになろう。

楽器から音が出ることに関する物理現象については基本的なところは解明された。しかし、音を改善、新しい音色を創造するためのヒントを与えるほどには分かっていない部分がまだまだとても多い。従って今後の研究余地は十分すぎるくらいある。世界各国で多くの個人・大学・研究機関が楽器の研究に取り組んでいる。設立されている研究学会も少なくない。日本での楽器研究者は諸大学や研究機関の他にメーカー内にも多く、研究レベルは十分世界に伍するレベルである。しかし、商品化計画に基づくメーカー内での開発業務は別とすれば、今のところ研究学会で発表される研究成果の実用性については高いとは云えない。もちろん今後は期待できるのだがそうなるためのキーポイントは資金力のあるメーカーと大学や研究機関の協力体制作りではないだろうか。

音楽の世界が新しい発展を見ることで世の中にどれくらい資するかを数値化して示すことは誰にも出来まい。しかし楽器の研究成果の人間社会への貢献が小さいとも言い切れまい。楽器の世界は前述のようにまだまだ科学的に分かっていないことが多い。優秀な人材がひたむきな研究を続けていれば改善や創造のためのアイディアは今後も山のように生じてくることは間違いなかろう。           (完)      

                 楽器創造館   永井 洋平

2008年11月25日 (火)

楽器研究という世界 ・・・・(3)

    (楽器創造館HP:http://homepage3.nifty.com/mikms/より抜粋)

3.楽器メーカーにおける研究

楽器メーカー、特に大手の会社には技術系社員を多く抱えている。もちろん彼らの中にも研究活動を仕事としている人々が居る。しかし究極的には営利を目的とするメーカーにおいては会社経営に余裕がなくなるほど長期的研究よりも短期的に成果を生む製品のモデルチェンジとかコストダウンの仕事に多くの資源を投入する傾向は大きくなる。そうなると研究担当の部署がその存在価値を問われることが頻繁になり、存在そのものも危うくなってくる。企業の人々が学会活動などに参加することは大いに期待されているのだが参加には消極的になってしまう傾向が出てくることが少なくない。

また特に日本の場合は世界を圧倒する楽器メーカーが複数存在し、メーカー間の競争も激しいので必然的に学会などで研究内容を外部に公表することを控える傾向が強い。「特許は沢山出せ、しかし研究論文はそれが陳腐化するまで出すな」という風潮になりやすい。特許には必ずしも研究論文のように科学原理的説明は書かれていないため特許だけみても研究開発の内容の詳しい開示にはならない。メーカーのこのような傾向の弊害は基礎的な現象追求がおろそかになり、研究せずにいきなり商品設計の段階に入ってしまうことである。研究について試作能力とか比較サンプル品が揃っていることなど、大学などより数段恵まれた環境にあるのにそれを活かせないことになる。たしかに日本でも近年の競争激化によって研究部門は商品設計部門に比して往々にして隅に追いやられがちである。

       楽器創造館  永井 洋平

                    -- つづく --

2008年11月12日 (水)

楽器研究という世界 ・・・・(2)

(楽器創造館HP:http://homepage3.nifty.com/mikms/より抜粋。)-

2.世界の楽器研究者と研究学会

もっと良い音を発生させるために必要な物理現象を楽器の中で引き起こすことが出来ぬものか、新しい発音原理による楽器は出来ぬものかなどといった目的で楽器を研究の対象とする世界中の研究者の数は一般の人々が思うよりも多いと言えよう。楽器メーカーの会社の技術・開発・研究部門に所属している人々はその職務として当然このテーマに取り組まねばならないので除外しても、大学などの研究機関に所属するか全く個人的に楽器の研究を人生のテーマとしている方々がざっと見て世界中に五百人くらい居るのではないだろうか。その大半が音楽を愛し楽器を科学的に取り扱うことに興味を持つ人たちや研究対象としている楽器のアマチュア演奏家であったりする。

しかしながら、個人で研究活動をしている人はさておき、研究機関に所属する研究者たちを悩ませることのひとつは「貴方が取り組んでいる楽器の研究は本当に世の中のためになるのか」という問いを所属する大学や研究機関当局から受けることであるらしい。このようなチェックを受けることは日本でも世界でも多いという。確かに新エネルギーの開発とか、エレクトロクスの新技術に関する研究などは基礎研究でも応用研究でも世の中のためになると一般的に認められやすい。一方、楽器の研究はその成果があったのかどうかが分かりにくいし、仮にその成果が明確にあった場合でも音楽を創造するひとつの新しい手段が出来たに過ぎないとみなされ、「一般社会への貢献度からすると他に優先すべきテーマがあるはずだ」という疑問を持たれる例が少なくないと聞く。

一方、研究者達は同じ分野の研究仲間との横の連絡を取り合う場にはどんなところ があるのだろうか。日本では音響学会に属する音楽音響研究会、情報処理学会の分科会である音楽情報処理研究会、世界的には国際音楽音響研究シンポジウム(ISMA, International Symposium on Musical Acoustics)、アメリカ弦楽器音響技術協会(CATGUT)、国際コンピュータ音楽学会(ICMC, International Computer Music Conference)などの研究団体がかなり以前から設立されていて、主に大学などの研究機関の人々によって運営されている。

これらの学会に出席してみるとそれぞれ非常に活発に議論が進み参加者の前向きな姿勢に驚かされる。参加している研究者たちは、前述のようにそれぞれの所属機関に戻れば、楽器の研究はマイナーな分野なので少数派グループに属し日常は孤独に近い研究生活を送っている人たちが多い。しかし学会に出席したときは俄然興味を同じくする仲間を得て議論がはずみ元気が出る。内弁慶の反対である。すなわち研究者間で横のつながりを形成せぬことにはとてもやって行けないという宿命的状況にある。昨年春には奈良で国際音楽音響学会ISMA 2004が開催された。参加者は百二十人で、約半数が日本人であった。七十三件の研究発表があり過去の学会に劣らぬ盛況だったので日本側主催者の準備の苦労が報いられたものとなった。次回のこの学会はスペイン・バルセロナで二〇〇七年九月に行われた。   

(楽器創造館   永井 洋平)

               -- つづく --

2008年11月 5日 (水)

楽器研究という世界 ・・・・(1)

今日から4回にわたり連載していきます。

(楽器創造館HP:http://homepage3.nifty.com/mikms/より抜粋。)

1.楽器の科学的解明と改良

楽器の品質を向上させる仕事には音を良くすることの他にも操作性・耐久性・外観の美しさなどを改善することもある。しかし本論では最も本質的な品質である音の改良について次に述べることにする。

楽器から音がどんな原理で出るのかを科学的に理解すること、つまり人間が楽器を奏したときに楽器の各部分にどんな現象が起こった結果、外気に音が放出されるのかという理由を知るということは大いに有効である。この仕組みが十分解明出来ていれば、楽器のどの部分を変化させれば現象が変わるから音色・音の出易さ・音の制御性などが改善される可能性があるという着想に繋げることが出来る。さらにどのように変わるはずという変化の方向に関する科学的仮説が作れるので結果の検証もし易い。逆にこの仕組みを知らなければあてずっぽうに、あちらこちらと改変させてみてそれを奏した結果がよければマグレあたりでラッキーということである。だが、その場合でもそれ以上の改良のための方策があったのではないかという不安は避けられない。

では、楽器に関するすべての現象についてどのくらい科学的に解明されているのだろうか、科学的に分かったとしても改良に結びつくのだろうか、今までの研究成果はどんなことがあるのだろうか、世界中では誰がどんなところでどんなテーマで研究を続けているのだろうか、日本の研究レベルはどうなのだろうか、世界の研究者同志の交流はどんなところで行われているのだろうかなど、本編読者の方々が関心を抱かれそうなポイントは沢山ある。      (楽器創造館  永井 洋平)

       -- つづく --

2008年9月12日 (金)

アドルフ・サックスに挑戦すれど・・・

               
                                 2006.8.10         永井洋平


パリのモンマルトル墓地を歩いたときアドルフ・サックスのお墓を見つけて感激したことがある。ベルギーで生まれパリで永らく生活した彼は1840年代にサキソホンを発明したことで特に知られているが、その他にもバスクラリネット、サキソルン属楽器など管楽器に関する発明・改良が多く、楽器生産事業、奏法教育などでも実績をあげているので楽器開発史上で特筆されるべき人物のひとりである。サキソホン属の楽器は150年前に新しい楽器として登場したがそれが現在でももっとも新しい楽器である。つまり、それ以後は新しく出現して音楽界に大きな地位を確立できた楽器は電子楽器を別とすれば特に見当たらないのだ。楽器の創造で成功することが簡単ではないことが認識されよう。当楽器創造館はこのハードルが高そうなテーマに敢えてチャレンジを試みようとする人々のために立ち上げたものと云える。

私がヤマハでサキソホンの商品開発業務を担当した1960年代後半に果たしてアドルフ・サックスは音響学的にどこまで精査して設計したのかを追及してみたくなった。彼が見出した管の形状、寸法といっても19世紀半ばの技術レベルではそれほど大した研究はやってないのではないか、会社の研究パワーでやりなおせばサックス氏を凌駕する設計仕様が得られるのではないかと思ったのだ。

そこで当時の最良とされるアルトサックスの管の太さ、テーパー、音穴の大きさ、位置などのバリエーションを数種試作して改良の可能性をサーチしてみた。サーチが成功して見込みがあれば次の段階に進む計画であった。しかし結果は期待に反して、わずかに吹込み管(ネック)についての知見がいくつか得られただけに終わりひとことで言えばサックス氏の設計が非常に良く出来たものであり簡単に彼の設計の周辺をサーチするだけでは改良は出来そうもないことを認識させられ、そのときの研究テーマとしては中断してしまった。

第2回目に挑戦する機会を得たのはヤマハの管楽器事業がすっかり軌道に乗り業界に確固たる地位を築いた後の1990年代であった。今度はどうせやるなら大きな成果を・・という狙いでサックス氏が開発した周辺を対象とはせずにもっと基本的なところから木管楽器の設計を見直す計画をたてた。つまりサキソホン属楽器の欠点をカバーするだけではなく現代吹奏楽の基幹楽器となっているクラリネットをも出来れば置換してしまうような新しい一属楽器を実現しようとするコンセプトであった。しかしこの壮大な研究テーマは試作品をいくつかテストするところまでは進めたものの非常に残念ながら進行初期において当時の会社全体の経営状況によって研究業務の見直しがなされた際に優先度が高いと評価されずまたも中断のやむなきに至った。アドルフ・サックスに挑戦することで2回目の挫折を味わう結果となった。

サックス氏の設計の正しさについては楽器音響学の草分けであるベナードやバッカスも賞賛していたことを知っていたので簡単には改良設計が見出せまいということは予測のひとつではあったが確かにこの2つのチャレンジの結果それを実感させられた。しかし依然としてサックス設計が本当に最善仕様であるかどうかは分からない。20世紀のヤマハの挑戦は不発に終わったが21世紀にはぜひ誰かがどこかで再チャレンジを行っていただきたいものだ。サックス氏の時代と比較すれば技術の飛躍的な進歩があるのだからアイディアとやる気がある研究人材に然るべき研究投資が行われれば必ず出来ることであろうと考えている。

以上  2006年8月

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2008年8月28日 (木)

楽器と奏者のインターフェイス

            楽器創造間  永井洋平  2004.8

良い楽器が持つべき条件として「人間の感情が良く移入出来て、それに応じた出力があること」があると思います。奏者の感情に良く対応した音楽が発露される楽器が良い楽器であるということです。幅広く(すなわち伝え得る感情の範囲が広く)細かく(伝え得る感情の分解能を高く)移入できるほど良いのでしょうが、一方で、人間が訓練しても及ばない程度の微細なところまで反応してしまうならそれは行き過ぎであり開発者のひとりよがりに終ってしまうことになります。

  ゆえに楽器の入力装置の性能は極めて重要なものになります。擦弦楽器(バイオリンなど)の弓は常時接触して時々刻々の入力が有効であり管楽器のマウスピースもこれに準ずる機能を有しています。
これに対し電子楽器の鍵盤は基本的にオンオフ入力に作られており、音を常時コントロールするためには適していません。しかし、これに何とか新しい機能を付加しようと努力がなされタッチ強度による応答、鍵盤を押し切ってからの圧力変動に対して応答するように設計されたものが多くなってきました。また昨年、入力しやすさの改善を狙って河合楽器からタッチ重さが調整可能な鍵盤が市場に出てきました。

  しかし総じて言えば電子楽器の入力装置は既存の擦弦楽器や管楽器の入力機能を未だ凌駕出来ていないことは明白でしょう。究極の入力装置とはどんなものなのかというテーマは人間の表現能力の限度を追及することでもあり大変興味があります。どんな入力装置と、それに応ずる後段部の改良が将来出来てくるのでしょうか、そしてどれが勝利者として普及するのでしょうか。電子楽器の入力装置はこれまでの鍵盤と操作子から成る入力装置ではまだまだ未完成の感じがします。

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2008年7月24日 (木)

技術導入時代から独自研究時代へ

               永井 洋平 (2006.4.24)

ヤマハ(当時日本楽器)が木管楽器製作技術で指導を得たロイ・シーマン氏の息子さんから最近手紙をいただいた。黒枠がありシーマン氏が昨年亡くなったとの報せである。ヤマハ管楽器開発初期の師である彼のご冥福を心からお祈りする。

ヤマハが楽器事業の拡大を狙って浜松地区での管楽器の本格的な生産に踏み切るかどうか経営的判断を行うための仕事をやるように命ぜられたのが1962年夏である。今の会社用語で言えばフィージビリティスタディである。たまたま私が学生時代に続き入社後も会社の吹奏楽団のメンバであったので管楽器について基礎知識、関心があろうということでそのプロジェクトの担当者の第一号に指名された。仕事の進度状況を報告していくうちに2人、3人と仲間が増えて、ついに本格参入のトップ判断が出てからは試作室が新設され15人ほどの職場が誕生した。

どのように商品開発や研究を遂行すべきかが議論され基本戦略としては社員だけで基礎から模索するよりもあるレベルの知識経験を持っている外国の既成技術者から技術指導をしてもらう方針採用された。思えばピアノ製造技術も第2次大戦前にドイツ・ベヒシュタイン社の技術者を招聘して指導を得た歴史がある。管楽器は楽器種類が多いので器種別に複数の人々を1960-70年代に諸国から招聘することになった。当時の高度成長時代初期の日本にはこのような外国からの先行投資的技術導入が全国的に多数提起されそれら申請書類の審査や認可手続きのため通商産業省は大忙しだったと聞く。

さて私はこれら技術指導に来社した外国人技能者・技術者に世界の一流メーカーでは研究がどのくらいなされているのか、研究結果の確信に基づいて設計・生産されているのかという類の質問を頻繁にした。彼らの回答をひとことで言えば一流メーカーでもほとんど科学的な研究はなされておらずいわゆる職人の経験を頼りに設計・生産されているとのことであった。つまり科学に基づいた最良設計(オプティミゼイション)はまったく出来てないに等しいということなので、これならヤマハは遅かれ早かれ世界一になれることを確信した。逆に言えば外国人から手っ取り早く教えてもらった技術からなるべく早く脱して独自の研究を進めていく投資をどのくらい行うかで世界一になれるかどうかが決まってくるということだ。

ちょうど今の時代は中国が外国人を大量に招聘して技術輸入を盛んに行っている。日本からも会社を定年退職(または定年前の早期退職)した人々を中心に大量のベテラン技術者が招かれている。日本とは異なる条件が少なくないとされる中国が今後、日本と同様な道をたどり高度成長を遂げていくかどうかは見守らねばなるまい。

さて、日本製の管楽器は開発初期の外国人の技術指導からスタートしその後の独自の社内努力も加えて大いに発展して世界の業界でひけをとらぬレベルまで達したことは周知のとおりである。しかしながら外国にも根強いメーカーが依然として多数残っていて世界一とされる楽器がすべて日本で作られているとはいえない状況が続いている。特にこの20-30年間、日本の進歩が停滞している模様である。そして後ろを見れば中国が猛追を始めている。それをかわし世界における優位性を確保するためには独自研究を強化していく他ないであろう。まだ楽器の発音に関する科学的な解明が不十分なのだから研究の余地は多くある。経営者が研究強化の方針を出すかどうかは自社の技術系社員の科学的思考力とやる気にかかっていると思う。

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