楽器

2009年2月13日 (金)

楽器の音の評価 ・・・(2)

         永井洋平    (2004.5.20.)

                                            

前に、音の良さの評価は最終的には機械には出来ないので人間が行うべきものであるが人間にもいろいろの弱みがあることを述べた。

ではどのような工夫をして人間と機械を使って評価することが望ましいか考えてみよう。

まず人間による評価における留意点だが、まず前回述べた人間の欠点が出来るだけ少ない人(感覚検査用語で「良質のパネル」という)を評価者に選ぶこと、つまり評価に安定性があり(同じテストで同じ評価結果を出す)、分解能も高く(微妙な違いも検知出来る)、評価の妥当性がある(その人が良いとするものが市場でも受け入れられる)能力が高い人である。一流音楽家でも良い評価者ばかりとは限らない。音楽家はメーカーから見れば大切なお客様であるからめったに本人の評価の信頼性をチェックするテストを行ったり、また行ったとしても結果についてはその人自身には報告しないのだが、時には結果を知らされて本人も自分の評価力のなさを知って驚いたり落胆する場合もある。このことは一流音楽家の言うことは信用できると思っている一般の人はもとより楽器メーカーの中でも信じてもらえない場合が多いのだが本当のことである。何とか正しい評価をしようとして頑張って私と同じような経験をした人だけがこれを読んで「そのとおり」といってくれるように思う。

一般には楽に済ませたテストで、通り一遍の結論を出し評価者、研究担当者ともにハッピーで、簡単に仕事完了としてしまうことが実に多い。このような仕事が積み重ねられても本当の進歩はなかろう。神様からみたら真実に到達していないし、あるいは社長や経営者からみたら研究費の無駄遣いだ。このようにして出した結論はもともとアテにならないのだから、次の追試でひっくり返りどうもオカシイ、分からないということになる。

信頼度が高い官能データを取るためには、奏者、研究担当者がともに苦しんでしんどいテストを繰り返して信頼性を上げる必要がある。評価のための費用もかかるが得た結果がいい加減なために全体費用が無駄遣いに終わることと比べたら雲泥の差だ。

次に、コストのかかる人間評価を出来るだけ機械を使って補う努力をすることを忘れてはなるまい。人間の弱みを補う意味で、信頼の置ける有効な科学的データをとるように工夫し、技術力をあげて行くことはもちろん必要である。

耳に入る音響信号自身のデータだけでなく、音響に関与する振動その他の物理データは、その試作を行った目的、つまり何を知りたいから試作して確かめたのかを明確にしてその目的の特性が実際にどうであったかを知るために必要である。測定により物理現象を定量的に捉えておくことが出来れば試作で取り上げた要因に関する効果を抽出するために大いに役立つ。この面でのメーカーの競争力は担当者が日頃、的確な技術的着眼力と測定技術その他の技術力を総合的に磨いているかどうかにかかってこよう。

メーカーがいかに正しい評価を効率的に行えるか、つまりメーカーの評価力は楽器研究力の基本であろう。正しい評価が出来なければ試作の成果はゼロである。

(以上)

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2009年2月 4日 (水)

楽器の音の評価 ・・・(1)

           永井洋平     (2004.3.13) 
                                     
(前回のメッセージでは初期の管楽器の開発過程を述べその中で重要事項のひとつに評価力があることを述べた。今回はその続きの話をしてみよう。)

楽器の改良する仕事は、ある着眼や発想に基づいて試作品を作る段階がある。試作品が従来品と比べて改善されたのか、残念ながら却って改悪されてしまったのか、同じなのか、どのくらいどの性質が変わったかなどをきちんと評価せねばならない。評価が出来ないことには仕事は完結しない、つまり目的を達成しないといっても良い。

しかし実際に経験することはこの評価段階でのつまづきが多い。つまり十分な評価をせぬままその仕事は終わったということにしてしまっている。経営的に見れば研究費がもったいないのだが、たいがいの場合は社内にそれを追求出来る目と権限を持つ人がいないので見過ごされて表にはでないという実態であろう。

最善の評価を考えるにあたり、まず銘記すべきことは評価をするのは機械ではなく人間であるということを知らねばならない。

楽器が出力する音楽がどのくらい良いか、つまりその楽器の音の良さは機械による測定ではなく人間が耳で聞いた結果で決めることには誰も異論はなかろう。測定データから良い音のハズであることが推定されることはあり得るが、最終的には人が良かったと思う音が良い音なのだ。確かに機械は評価に関しては決定権を持たない。一方、測定器としての人間にも大きな弱みがあることは看過できない。

人間の弱みとは何だろうか。まず、好みの個人差がある。Aさんが良いと評価したものがBさんやCさんにとっても同様に良いという結果がいつも得られるとは限らない。さらに評価分解能の個人差がある。AさんとBさんがが評価対象のXとYの間に違いを見出せない、或いは無視し得る程度の差しかないとしてもCさんにはXとY間に大きな違いがあると評価するかも知れない。また同じ人間でも安定性に欠ける。つまり、本日の評価をした人間が体調や気分が変わったときに、同じテストを後日行ったときに同じ結果を再び出すとは限らない。先に人間だけが評価が出来ると述べたが、実は人間には欠点だらけなのだ。(次回に続く)

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2008年12月 3日 (水)

楽器研究という世界 ・・・・(4)

  -(楽器創造館HP:http://homepage3.nifty.com/mikms/から抜粋)-

4.楽器研究の実用性

確かに研究活動は世界で活発に行われている。しかしその成果が楽器ビジネスに活きたものは数多いとは云えない。しかしどんな分野でも研究が実用に結びつく確率は高くはないと考えれば特別に嘆くことではないと思う。

ヤマハでの例を挙げれば一九六八年ごろにコンピュータを使って管楽器の音程を正しく設計する技術を開発したときにもバッカスやベネイドの先行研究をまず学びそれと独自の研究成果を組み合わせた。ピアノ弦の設計においてもヤングやフレッチャーの論文に基づき振動の非調和性の定量計算を行ったり、ワインライヒの複弦振動の位相関係論などを参考にしたこともある。

( 写真1.ピアノハンマーが打弦した瞬間の弦の形状。縦方向に二十倍に拡大されているので弦は太くハンマーは細長く映っている。(by Nagai) )

( 写真2.パイプオルガンの発音時の空気振動流が形成される様子(by Verge) )

この二枚の写真は肉眼では見えない高速現象の可視化に成功した例である。物理理論の構築、さらに楽器改良のアイディアの着想のために有効な研究結果と云えよう。

ベルリン工大のクレーマー教授は楽器研究のパイオニアの一人であり一九五〇年代からパイプオルガンの原理、バイオリンの物理特性を科学的に考察している。筆者は彼の研究室に半年間滞在し共同研究も発表させていただいたことがあるのだが本質をついた考え方に多くの感銘を受けた。日本でもこうした研究の先人たちに刺激され影響を受けその後の独自研究を積み重ねて実用に繋げてきた歴史がある。

コンピュータ音楽の作品を発表したり、ディジタル型電子楽器への応用技術が紹介される場の代表例としては前記のICMC(国際コンピュータミュージック学会)がある。一九七六年に第一回がMITで行われ、それ以来毎年世界各国で開催されている。ディジタル音楽の父と言われるマシューズやリセは当会の創立時の主力メンバであり一九八〇年代を中心にヤマハ電子楽器に大幅に採用されたFM楽音合成技術発明のチョウニングなどもこの学会でよく発表していた時期があった。近年は日本人の参加も急激に増えている。

( 写真3.第一回ICMC学会(一九七六年)におけるパネルディスカッション風景、右からアレン、マシューズ、バーコーと初期のディジタル楽音発生技術のパイオニア達が並ぶ。 )

5.まとめ

楽器の改良研究についての現状とこれまでの成果について簡単に表現するとすれば次のようになろう。

楽器から音が出ることに関する物理現象については基本的なところは解明された。しかし、音を改善、新しい音色を創造するためのヒントを与えるほどには分かっていない部分がまだまだとても多い。従って今後の研究余地は十分すぎるくらいある。世界各国で多くの個人・大学・研究機関が楽器の研究に取り組んでいる。設立されている研究学会も少なくない。日本での楽器研究者は諸大学や研究機関の他にメーカー内にも多く、研究レベルは十分世界に伍するレベルである。しかし、商品化計画に基づくメーカー内での開発業務は別とすれば、今のところ研究学会で発表される研究成果の実用性については高いとは云えない。もちろん今後は期待できるのだがそうなるためのキーポイントは資金力のあるメーカーと大学や研究機関の協力体制作りではないだろうか。

音楽の世界が新しい発展を見ることで世の中にどれくらい資するかを数値化して示すことは誰にも出来まい。しかし楽器の研究成果の人間社会への貢献が小さいとも言い切れまい。楽器の世界は前述のようにまだまだ科学的に分かっていないことが多い。優秀な人材がひたむきな研究を続けていれば改善や創造のためのアイディアは今後も山のように生じてくることは間違いなかろう。           (完)      

                 楽器創造館   永井 洋平

2008年11月25日 (火)

楽器研究という世界 ・・・・(3)

    (楽器創造館HP:http://homepage3.nifty.com/mikms/より抜粋)

3.楽器メーカーにおける研究

楽器メーカー、特に大手の会社には技術系社員を多く抱えている。もちろん彼らの中にも研究活動を仕事としている人々が居る。しかし究極的には営利を目的とするメーカーにおいては会社経営に余裕がなくなるほど長期的研究よりも短期的に成果を生む製品のモデルチェンジとかコストダウンの仕事に多くの資源を投入する傾向は大きくなる。そうなると研究担当の部署がその存在価値を問われることが頻繁になり、存在そのものも危うくなってくる。企業の人々が学会活動などに参加することは大いに期待されているのだが参加には消極的になってしまう傾向が出てくることが少なくない。

また特に日本の場合は世界を圧倒する楽器メーカーが複数存在し、メーカー間の競争も激しいので必然的に学会などで研究内容を外部に公表することを控える傾向が強い。「特許は沢山出せ、しかし研究論文はそれが陳腐化するまで出すな」という風潮になりやすい。特許には必ずしも研究論文のように科学原理的説明は書かれていないため特許だけみても研究開発の内容の詳しい開示にはならない。メーカーのこのような傾向の弊害は基礎的な現象追求がおろそかになり、研究せずにいきなり商品設計の段階に入ってしまうことである。研究について試作能力とか比較サンプル品が揃っていることなど、大学などより数段恵まれた環境にあるのにそれを活かせないことになる。たしかに日本でも近年の競争激化によって研究部門は商品設計部門に比して往々にして隅に追いやられがちである。

       楽器創造館  永井 洋平

                    -- つづく --

2008年11月12日 (水)

楽器研究という世界 ・・・・(2)

(楽器創造館HP:http://homepage3.nifty.com/mikms/より抜粋。)-

2.世界の楽器研究者と研究学会

もっと良い音を発生させるために必要な物理現象を楽器の中で引き起こすことが出来ぬものか、新しい発音原理による楽器は出来ぬものかなどといった目的で楽器を研究の対象とする世界中の研究者の数は一般の人々が思うよりも多いと言えよう。楽器メーカーの会社の技術・開発・研究部門に所属している人々はその職務として当然このテーマに取り組まねばならないので除外しても、大学などの研究機関に所属するか全く個人的に楽器の研究を人生のテーマとしている方々がざっと見て世界中に五百人くらい居るのではないだろうか。その大半が音楽を愛し楽器を科学的に取り扱うことに興味を持つ人たちや研究対象としている楽器のアマチュア演奏家であったりする。

しかしながら、個人で研究活動をしている人はさておき、研究機関に所属する研究者たちを悩ませることのひとつは「貴方が取り組んでいる楽器の研究は本当に世の中のためになるのか」という問いを所属する大学や研究機関当局から受けることであるらしい。このようなチェックを受けることは日本でも世界でも多いという。確かに新エネルギーの開発とか、エレクトロクスの新技術に関する研究などは基礎研究でも応用研究でも世の中のためになると一般的に認められやすい。一方、楽器の研究はその成果があったのかどうかが分かりにくいし、仮にその成果が明確にあった場合でも音楽を創造するひとつの新しい手段が出来たに過ぎないとみなされ、「一般社会への貢献度からすると他に優先すべきテーマがあるはずだ」という疑問を持たれる例が少なくないと聞く。

一方、研究者達は同じ分野の研究仲間との横の連絡を取り合う場にはどんなところ があるのだろうか。日本では音響学会に属する音楽音響研究会、情報処理学会の分科会である音楽情報処理研究会、世界的には国際音楽音響研究シンポジウム(ISMA, International Symposium on Musical Acoustics)、アメリカ弦楽器音響技術協会(CATGUT)、国際コンピュータ音楽学会(ICMC, International Computer Music Conference)などの研究団体がかなり以前から設立されていて、主に大学などの研究機関の人々によって運営されている。

これらの学会に出席してみるとそれぞれ非常に活発に議論が進み参加者の前向きな姿勢に驚かされる。参加している研究者たちは、前述のようにそれぞれの所属機関に戻れば、楽器の研究はマイナーな分野なので少数派グループに属し日常は孤独に近い研究生活を送っている人たちが多い。しかし学会に出席したときは俄然興味を同じくする仲間を得て議論がはずみ元気が出る。内弁慶の反対である。すなわち研究者間で横のつながりを形成せぬことにはとてもやって行けないという宿命的状況にある。昨年春には奈良で国際音楽音響学会ISMA 2004が開催された。参加者は百二十人で、約半数が日本人であった。七十三件の研究発表があり過去の学会に劣らぬ盛況だったので日本側主催者の準備の苦労が報いられたものとなった。次回のこの学会はスペイン・バルセロナで二〇〇七年九月に行われた。   

(楽器創造館   永井 洋平)

               -- つづく --

2008年11月 5日 (水)

楽器研究という世界 ・・・・(1)

今日から4回にわたり連載していきます。

(楽器創造館HP:http://homepage3.nifty.com/mikms/より抜粋。)

1.楽器の科学的解明と改良

楽器の品質を向上させる仕事には音を良くすることの他にも操作性・耐久性・外観の美しさなどを改善することもある。しかし本論では最も本質的な品質である音の改良について次に述べることにする。

楽器から音がどんな原理で出るのかを科学的に理解すること、つまり人間が楽器を奏したときに楽器の各部分にどんな現象が起こった結果、外気に音が放出されるのかという理由を知るということは大いに有効である。この仕組みが十分解明出来ていれば、楽器のどの部分を変化させれば現象が変わるから音色・音の出易さ・音の制御性などが改善される可能性があるという着想に繋げることが出来る。さらにどのように変わるはずという変化の方向に関する科学的仮説が作れるので結果の検証もし易い。逆にこの仕組みを知らなければあてずっぽうに、あちらこちらと改変させてみてそれを奏した結果がよければマグレあたりでラッキーということである。だが、その場合でもそれ以上の改良のための方策があったのではないかという不安は避けられない。

では、楽器に関するすべての現象についてどのくらい科学的に解明されているのだろうか、科学的に分かったとしても改良に結びつくのだろうか、今までの研究成果はどんなことがあるのだろうか、世界中では誰がどんなところでどんなテーマで研究を続けているのだろうか、日本の研究レベルはどうなのだろうか、世界の研究者同志の交流はどんなところで行われているのだろうかなど、本編読者の方々が関心を抱かれそうなポイントは沢山ある。      (楽器創造館  永井 洋平)

       -- つづく --

2008年9月12日 (金)

アドルフ・サックスに挑戦すれど・・・

               
                                 2006.8.10         永井洋平


パリのモンマルトル墓地を歩いたときアドルフ・サックスのお墓を見つけて感激したことがある。ベルギーで生まれパリで永らく生活した彼は1840年代にサキソホンを発明したことで特に知られているが、その他にもバスクラリネット、サキソルン属楽器など管楽器に関する発明・改良が多く、楽器生産事業、奏法教育などでも実績をあげているので楽器開発史上で特筆されるべき人物のひとりである。サキソホン属の楽器は150年前に新しい楽器として登場したがそれが現在でももっとも新しい楽器である。つまり、それ以後は新しく出現して音楽界に大きな地位を確立できた楽器は電子楽器を別とすれば特に見当たらないのだ。楽器の創造で成功することが簡単ではないことが認識されよう。当楽器創造館はこのハードルが高そうなテーマに敢えてチャレンジを試みようとする人々のために立ち上げたものと云える。

私がヤマハでサキソホンの商品開発業務を担当した1960年代後半に果たしてアドルフ・サックスは音響学的にどこまで精査して設計したのかを追及してみたくなった。彼が見出した管の形状、寸法といっても19世紀半ばの技術レベルではそれほど大した研究はやってないのではないか、会社の研究パワーでやりなおせばサックス氏を凌駕する設計仕様が得られるのではないかと思ったのだ。

そこで当時の最良とされるアルトサックスの管の太さ、テーパー、音穴の大きさ、位置などのバリエーションを数種試作して改良の可能性をサーチしてみた。サーチが成功して見込みがあれば次の段階に進む計画であった。しかし結果は期待に反して、わずかに吹込み管(ネック)についての知見がいくつか得られただけに終わりひとことで言えばサックス氏の設計が非常に良く出来たものであり簡単に彼の設計の周辺をサーチするだけでは改良は出来そうもないことを認識させられ、そのときの研究テーマとしては中断してしまった。

第2回目に挑戦する機会を得たのはヤマハの管楽器事業がすっかり軌道に乗り業界に確固たる地位を築いた後の1990年代であった。今度はどうせやるなら大きな成果を・・という狙いでサックス氏が開発した周辺を対象とはせずにもっと基本的なところから木管楽器の設計を見直す計画をたてた。つまりサキソホン属楽器の欠点をカバーするだけではなく現代吹奏楽の基幹楽器となっているクラリネットをも出来れば置換してしまうような新しい一属楽器を実現しようとするコンセプトであった。しかしこの壮大な研究テーマは試作品をいくつかテストするところまでは進めたものの非常に残念ながら進行初期において当時の会社全体の経営状況によって研究業務の見直しがなされた際に優先度が高いと評価されずまたも中断のやむなきに至った。アドルフ・サックスに挑戦することで2回目の挫折を味わう結果となった。

サックス氏の設計の正しさについては楽器音響学の草分けであるベナードやバッカスも賞賛していたことを知っていたので簡単には改良設計が見出せまいということは予測のひとつではあったが確かにこの2つのチャレンジの結果それを実感させられた。しかし依然としてサックス設計が本当に最善仕様であるかどうかは分からない。20世紀のヤマハの挑戦は不発に終わったが21世紀にはぜひ誰かがどこかで再チャレンジを行っていただきたいものだ。サックス氏の時代と比較すれば技術の飛躍的な進歩があるのだからアイディアとやる気がある研究人材に然るべき研究投資が行われれば必ず出来ることであろうと考えている。

以上  2006年8月

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2008年8月28日 (木)

楽器と奏者のインターフェイス

            楽器創造間  永井洋平  2004.8

良い楽器が持つべき条件として「人間の感情が良く移入出来て、それに応じた出力があること」があると思います。奏者の感情に良く対応した音楽が発露される楽器が良い楽器であるということです。幅広く(すなわち伝え得る感情の範囲が広く)細かく(伝え得る感情の分解能を高く)移入できるほど良いのでしょうが、一方で、人間が訓練しても及ばない程度の微細なところまで反応してしまうならそれは行き過ぎであり開発者のひとりよがりに終ってしまうことになります。

  ゆえに楽器の入力装置の性能は極めて重要なものになります。擦弦楽器(バイオリンなど)の弓は常時接触して時々刻々の入力が有効であり管楽器のマウスピースもこれに準ずる機能を有しています。
これに対し電子楽器の鍵盤は基本的にオンオフ入力に作られており、音を常時コントロールするためには適していません。しかし、これに何とか新しい機能を付加しようと努力がなされタッチ強度による応答、鍵盤を押し切ってからの圧力変動に対して応答するように設計されたものが多くなってきました。また昨年、入力しやすさの改善を狙って河合楽器からタッチ重さが調整可能な鍵盤が市場に出てきました。

  しかし総じて言えば電子楽器の入力装置は既存の擦弦楽器や管楽器の入力機能を未だ凌駕出来ていないことは明白でしょう。究極の入力装置とはどんなものなのかというテーマは人間の表現能力の限度を追及することでもあり大変興味があります。どんな入力装置と、それに応ずる後段部の改良が将来出来てくるのでしょうか、そしてどれが勝利者として普及するのでしょうか。電子楽器の入力装置はこれまでの鍵盤と操作子から成る入力装置ではまだまだ未完成の感じがします。

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2008年7月24日 (木)

技術導入時代から独自研究時代へ

               永井 洋平 (2006.4.24)

ヤマハ(当時日本楽器)が木管楽器製作技術で指導を得たロイ・シーマン氏の息子さんから最近手紙をいただいた。黒枠がありシーマン氏が昨年亡くなったとの報せである。ヤマハ管楽器開発初期の師である彼のご冥福を心からお祈りする。

ヤマハが楽器事業の拡大を狙って浜松地区での管楽器の本格的な生産に踏み切るかどうか経営的判断を行うための仕事をやるように命ぜられたのが1962年夏である。今の会社用語で言えばフィージビリティスタディである。たまたま私が学生時代に続き入社後も会社の吹奏楽団のメンバであったので管楽器について基礎知識、関心があろうということでそのプロジェクトの担当者の第一号に指名された。仕事の進度状況を報告していくうちに2人、3人と仲間が増えて、ついに本格参入のトップ判断が出てからは試作室が新設され15人ほどの職場が誕生した。

どのように商品開発や研究を遂行すべきかが議論され基本戦略としては社員だけで基礎から模索するよりもあるレベルの知識経験を持っている外国の既成技術者から技術指導をしてもらう方針採用された。思えばピアノ製造技術も第2次大戦前にドイツ・ベヒシュタイン社の技術者を招聘して指導を得た歴史がある。管楽器は楽器種類が多いので器種別に複数の人々を1960-70年代に諸国から招聘することになった。当時の高度成長時代初期の日本にはこのような外国からの先行投資的技術導入が全国的に多数提起されそれら申請書類の審査や認可手続きのため通商産業省は大忙しだったと聞く。

さて私はこれら技術指導に来社した外国人技能者・技術者に世界の一流メーカーでは研究がどのくらいなされているのか、研究結果の確信に基づいて設計・生産されているのかという類の質問を頻繁にした。彼らの回答をひとことで言えば一流メーカーでもほとんど科学的な研究はなされておらずいわゆる職人の経験を頼りに設計・生産されているとのことであった。つまり科学に基づいた最良設計(オプティミゼイション)はまったく出来てないに等しいということなので、これならヤマハは遅かれ早かれ世界一になれることを確信した。逆に言えば外国人から手っ取り早く教えてもらった技術からなるべく早く脱して独自の研究を進めていく投資をどのくらい行うかで世界一になれるかどうかが決まってくるということだ。

ちょうど今の時代は中国が外国人を大量に招聘して技術輸入を盛んに行っている。日本からも会社を定年退職(または定年前の早期退職)した人々を中心に大量のベテラン技術者が招かれている。日本とは異なる条件が少なくないとされる中国が今後、日本と同様な道をたどり高度成長を遂げていくかどうかは見守らねばなるまい。

さて、日本製の管楽器は開発初期の外国人の技術指導からスタートしその後の独自の社内努力も加えて大いに発展して世界の業界でひけをとらぬレベルまで達したことは周知のとおりである。しかしながら外国にも根強いメーカーが依然として多数残っていて世界一とされる楽器がすべて日本で作られているとはいえない状況が続いている。特にこの20-30年間、日本の進歩が停滞している模様である。そして後ろを見れば中国が猛追を始めている。それをかわし世界における優位性を確保するためには独自研究を強化していく他ないであろう。まだ楽器の発音に関する科学的な解明が不十分なのだから研究の余地は多くある。経営者が研究強化の方針を出すかどうかは自社の技術系社員の科学的思考力とやる気にかかっていると思う。

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2008年7月 3日 (木)

スタインウェイピアノの秘密

*** 米国特許に見るスタインウェイピアノの設計思想 ***

ピアノ作りと特許情報の意義

ピアノに関する特許は新規なピアノの発明に限らず、むしろ実用的に、構造、材料、形状寸法の特徴とその作用効果が明らかになった技術を特許として登録するものである。そこには目的や作用効果が表現されているので、それを設計思想として読み取ることができる。しかしながら楽器、特にピアノに関する個別の特許はそれが唯一の真実であるとは限らないし、二律背反的な要件も存在する場合もあるので最良の方法とは限らない。また、たとえなるほどと思える特許であっても必ずしもそれを使わなくてもピアノの形は作ることはできるものである。換言すれば論拠不明の形態の部位もいまだにあると言うことになる。

一方、製品を測ったり、製品を見ただけではわからない作り方や工程に関する技術は製造ノウハウとして秘すのが普通である。そのため特許や文献などには表現されてこないのでそこのところは推定するしかないが読みきれない場合もあるし、誤解する場合もある。現在であれば科学的な手段でピアノの音響現象や構造振動現象を解明して構造や作り方を進化させ、特許に値する発明になる可能性もあるだろう。

また量産ピアノにあっては品質とコストを優先するため、作り方や工程や材質などを合理化と称して変更するものである。時として生産の拠点を製造ノウハウとともに海外に移転することもある。そのようなときに往々にして初期の設計思想が希薄化する。当時の初期のピアノは楽器としてはもっと良かったと言うことになる。

スタインウェイピアノに関する米国特許

 スタインウェイ社のコンサートグランドは現在でも名声が高く、多くのホールに常設されていて、ピアニストによりコンサートやコンクールなどに好んで使われる。その特徴はどのような設計思想に基づいて作られているのだろうか。S社の三十年程前のカタログには十四件の特許が重要特許として挙げられている。(表1参照)当時、これらの特許公報を収集して分析した。あわせて一九七〇年までの同社名義の米国特許を検索してみたところ八〇件余の特許が挙がってきた。そのうち前記の十四件のほかに重要と思われるものを特定した。(表2参照)

スタインウェイ一家は一八五一年にドイツからアメリカに移住し、ヘンリースタインウェイは理想のピアノを製作したいとの信念に基づいて一八五三年創業を開始。長男のテオドールに生産を委ね、隆盛を極めていった。出願は十九世紀後半に集中しており、ちょうどこの時期に重なっている。発明者は主に、C.F.テオドール・スタインウェイで、幼い頃からピアニストとして活躍し、大学で音響学を学び、ピアノ作りの改良と開発に情熱を注いで、構造や材質や作り方の多くの発明をした。新しいピアノを発明したり新しい部品を発明することではなく、ただひたすらピアノの音量の増大と音色の改良に努めたのである

一八八〇年に弟のウイリアムがハンブルグ工場を立ち上げたのを機に、テオドールはドイツに戻りアメリカとの間を行き来することになった。当時、ドイツの著名な物理学者であったヘルムホルツとも親交を深め、表1のUSP 126,848は彼の提案ともいわれ、他にも多くの助言を得てピアノの改良を行っていった。こうしてS社のコンサートグランドの基本は完成して、その精神が連綿として現在まで継承されてきていることになる。

(表1 S社がカタログに挙げる重要特許十四件)


 表2を見ると一九三〇年から五十年にかけて特許が多く出されている。世界恐慌後、より完成度の高いピアノの開発に向けて技術開発をすすめたものとおもわれる。Steinway&Sonsの名義で主として本体構造関連のものが出願されている。ここまではハンブルグ・Sにも実施されているものであろう。表2の円形膜状挙動響板(2,070,391)は米国音響学会誌(1940.11)にもデータとともにその有効性が論じられている。

 現在、改めて米国特許を検索してみると、一九七〇年以降は三十件余が検出されるが、主にアクションやハンマーやチューニングに関するもので響板やフレームや支柱構造などの本体の改良に関するものは少ない。これらはハンブルグ・Sではなくニューヨーク・Sを対象にした、価格競争が激化したアメリカ市場向けの出願と思われる。

(表2 その他の重要特許)


価格競争のもとでは本来の設計思想はどうしても希薄化して性能は後退するものである。 そのためか現在でも日本ではハンブルグ・Sが選ばれて輸入されるようである。既に三十年以上も前にホールに入っているピアノの名声が高いということは当時のピアノには本来の設計思想がいまだに息づいていると言うことであろうか。



特許から読み取る設計思想

表に挙げた特許の内容を検討して、その目的や作用効果を整理してみると、良い音色で、大音量でよく鳴るピアノを如何にして設計するかという考え方、すなわちその設計思想が見えてくる。それは次の3つに集約されよう。

? 低・中音域の音色を豊かにしてダイナミックレンジを広げること

? 高音域の音色を豊かにして伸びを良くすること

? 構造強度を高め、楽器全体が良く響くようにすること

先ず?については、交叉弦方式(26,532)、密着アグラフ(1,965,360)などの張弦方式に係るもの。円形膜的挙動を示す響板体構造(2051,633/2,070,391)、連続カーブ駒(97,982)、練り合わせ駒構造(233,710)、低音域用サブ響棒(204,110)、木材調湿法(2,529,862)等の響板の構造と材質に係るもの。またフレームフランジ部ダボ取り付け構造(127,383)、曲げ練り支柱構造ケース(314,742)、フレームとケース支柱との連結(178,565)、直支柱一点連接(204,106)等は?の全体の構造強度アップの要件でもある。

次に?については、弦枕構造(170,646)、フレーム弦支持部熱処理硬化(1,867,788)と?で挙げた駒構造(97,982/233,710)などの弦支持部に関するもの。前述の後方弦/余弦部共鳴(126,848)、高音域響板取り付け構造(180,671)等の共鳴要素に関するもの。さらには?の要件でもあるが、底板フレーム補強(9,431)、高域部フレーム・ケース結合強化(314,740)、ローテーション積層ピン板(3,091,149)、フレーム・ピン板間防湿層(2,339,752)等の構造部材も高音域の音色や音の伸びの向上にも寄与する。

 ヘルムホルツの提案で採用した、後方弦/余弦部共鳴(126,848)の特許についてはご存知かと思うが、駒とヒッチピンの間の裸線弦の部分の長さを打弦部の基音に対して協和するピッチとなる弦長に設定すれば

共鳴して響きや音色は豊かなものになるというものである。

最後に?については、?と?との関連において既に挙げているので省略する。

 以上、S社のピアノの設計思想とそれに関わる特許を例示したが、特許にはなっていない要因でもこれらの設計思想の一環として意義をもつ製作要因もある。一九〇〇年製のS社のOモデルに触れる機会があった。小型のグランドではあったが、実に良く鳴った。脚柱を叩いてみると『コーン』と響板が鳴ったのである。脚柱はもちろん無垢で、良く枯れているから脚まで楽器全体が鳴るのである。特許には現れてこないが、材質や製作法は重要な要因である。



まとめ

 ここで紹介した特許は現在は総てその有効期間が切れており、またここでは具体的に取り上げなかった一九七〇年以降登録のものも、大半が期間満了となっており、誰もがその技術を使うことができるわけであるが、だからといって都合のよさそうなものをそのまま使うのではなく、形状寸法や構造材料の本質である設計思想を学ぶべきであり、その要因を一貫性をもってバランスさせることが肝要である。それが設計思想を継承発展させることになる。温故知新の心である。

 しかしながら同じ思想を追従してもそれを超えるものはできないであろうし、まして一部分を真似してもうまく機能しないものである。例えば、普通のピアノは後方弦の余弦部は不協和音やその倍音が発生して基音に混ざるとしてフェルトを挟んで振動しないようにして、さらに整音作業でこれを完全に抑えている。もし後方弦を協和的に共鳴させる場合にはその整音方法も変える必要がでてくるのである。

 基本的で共通的な要素をしっかりと把握して、制約条件を一旦はずして、その上に科学的な論拠に基づく独自の設計思想を柔軟な基盤技術をもって構築していくことが肝要である。

 

今回は業界でもあまり詳しくは知られていないピアノの特許情報についてスタインウェイ社の歴史的な特許を中心に仮説と推測を交えて紹介した。ピアノ開発の先人達の努力にはあらためて敬意を表したい。


                      ( 楽器創造館 村上和男 )

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2008年6月24日 (火)

MITメディアラボと楽器の創造

                  

                       永井洋平

ボストン近郊にある名門マサチュセッツ工科大学(MIT)にメディアラボが設立して20年余が経過した。初代所長ネグロポンテの意向で設立以来ユニークな運営方針がとられている研究機関である。スポンサーから大半の研究資金を集め、優秀な研究指導者と大学院学生を確保するために高倍率の選抜試験があり採用された学生にも給料が支払われている。所員とつきあってみるとさすが創造力、問題解決力が豊かな優秀な人材が多いことが分かる。

これまでアラン・ケイ(PC開発)、シーモア・パパート(Logo言語),マーヴィン・ミンスキー(AI理論)などの有名人がこの研究所に属し発展に一役買っている。研究所の研究活動についてはURL http://www.media.mit.edu/にかなり詳しく出ているのでそちらに譲るが多くの分野で基礎的研究が行われる一方、一見すると実用的すぎるコセコセしたテーマを多くやっているようにも見える。メディアラボでは末端の応用研究だけではないか、との感想を述べていた会社重役が居たがそれは当たってない。テーマの元は革新性の高い基礎研究でありその応用例を分かり易いデモでスポンサーに常に示すことをモットーとしているのだ。メディアラボの研究を正しく理解するためには野暮に見える応用例だけではなくその研究の真のターゲットを知る必要がある。

最近、紙のように折れ曲がるディスプレイに使える電子ペーパーの実用例が報道されている。実はこの技術の発想と開発はメディアラボのヤコブソン研究員が18年前からやっていたものだ。しかし彼の名は一向に表に出てこない。人体の動きでディスプレイされた映像をリアルタイムで制御する方式も街でよく見受けられるがこれも同じころパラディソ研究員などが開発していたのだが彼の名は出てこない。実はメディアラボは特許戦略がまるで出来ていなかったのだ。ネグロポンテ所長は研究成果は公開されるべきであり独占することは悪であるという持論があり特許に無頓着なことを誇りとしていた節があった。しかし、その後スポンサーを含めて議論を重ねた結果ついに特許部門をスタンフォード大学などから指導を受けて強化せざるをえなかった。特許法を悪法とする理屈はたしかにある。しかし世の中に別システムを創ることは困難であることを遅まきながら気がついたのだ。

この研究所では次世代メディアに関する諸々のテーマの中で楽器を含めた新しい音楽芸術の開発にも力が入っていて、新形式のオペラ、新しい電子音源アルゴリズム、新しい入力装置の楽器、自動作曲方式などをマコーヴァー、パラディソ、バーコー、ガーシェンフェルトなどのリーダーシップで取り組んでいる。(詳しくは上記URL参照)。彼らの成果はかなり頻繁に新聞などで報道される。しかしながらそれらは結果としてデモや特殊な曲に試用されるにとどまり、それを引き受けた演奏家以外の演奏家はあまり使おうとしない。したがって世の中に普及せしめた音楽関連の成果は残念ながら見当たらない。つまり人々が「あれは良かった。もう一度聞きたい」という気に十分ならないからリピート需要が生まれないのだ。音楽の世界での人々の保守性を改めて確認する結果となっている。後世にも残る楽器を創造する仕事はそれほど簡単なことではない。開発力がある日本のメーカーなどとうまく連携プレーが出来ると面白いと思えるようなテーマもあるのだが・・・。この研究所の行方には引き続き注目して行きたいところである。

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2008年6月 3日 (火)

楽器の評価技術の向上のために

                  

                       永井洋平

楽器研究者が行う研究テーマや楽器メーカー内の業務で楽器の音品質を評価するために官能検査(人間の感覚を使って測定し評価すること)の評点を複数のパネル(評価者)からデータを採取し統計的に結論を出す必要がある場合は頻繁にある。

人間が測定器となる評価テストはその目的によって適切なテスト方式を決定せねばならない。そこで「期待される楽器の評価法」について一般の参考書には記されてないことを少しだけ提案させていただこう。

ひとつは<先入観を排除するためのブラインドテストにおける「ブラインド度」を企画すること>である。評価担当者が「この評価はブラインドでやりましたから信頼できます」と報告してきても「なるほど良くやったね」といって感心するだけでは研究管理者落第である。ブラインドテストといっても簡単なものから厳しいものまでいろいろな段階があるのだ。テスト対象品が何台あるかをパネルに開示するのか、テスト対象品の仕様の全部または一部をパネルに開示するのか、同じ対象品を同一パネルに複数回提示するのか等々が適切に考慮されていなければならない。対象品の名前だけを隠して対象品を一回ずつ提示することをパネルに告げてあるテスト(ブラインド度が小さい例)から、対象品の数も知らせず、提示順序をランダマイズして同一品を複数回提示するテスト(ブラインド度が大きい例)までいろいろある。ブラインド度が大きいほど仕事はパネルにとっても評価担当者にとっても厳しくなり、そのために評価コストは高くなる。しかしその結果の信頼性はぐんと高い。特にわずかな差を確実に検出したいときは、良いパネルを選ぶこととともに、出来るだけブラインド度を上げて評価に取り組むことが望まれる。

ふたつめの提案は、<パネルが付けた評点のひとつひとつに対する「自信度」を付記してもらうこと>だ。この自信度のデータは結論を出すときに各評点データのウェイティング(つまりデータの重要度に応じて乗ずる係数)を使っても良いし、その評価者をその後使い続けるかどうか、つまりパネルの信頼度の検定にも使える。前者は、「自信を持って判断したデータ」と「自信がないがとりあえず記入したデータ」を区別せずに同じように扱って集計しては不合理であろう、という考えから発想したものである。また後者は「自信度がいつも低い傾向があるパネル」、「評点の再現性がないのに自信度を高くつけている傾向のあるパネル」はともに信頼度が低いのでその後はなるべく遠慮してもらった方が良い、としてパネルの質の向上に役立てることが出来る。

人間が感覚で評点する官能テストのやり方の定石的手法については「官能検査ハンドブック」などの参考書に詳しく記されている。しかし上記の二つのポイントについては筆者自身が楽器の評価業務のために必要を感じた経験であり、また多くの人が気がつくことかも知れないと思えるのだが、これについて述べられている参考書が見当たらない。この文を読んだ方々が参考にしていただければ幸甚である。

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2008年5月27日 (火)

楽器研究者は、「音楽」を「音が苦」と心得るべし

                                          永井 洋平                                                         

人間は音楽に接すると感動する・うっとりする・心が和らぐ、などの効果を得る。音楽の価値はそこにある。その音楽を生み出す手段に楽器が使われるので良い音楽には良い楽器が必要である。

しかし自分の職業として楽器を研究しようとする者は、音楽にうっとりとしてはいけないのではないだろうか。人間が音楽を何故美しいと感ずるか、音楽のどんなところがどういう理由で、どんな効果を生ずるのか、冷静に科学的に分析せねばならないからだ。そしてよりよい楽器を実現するための発想をせねばならない。楽しんでうっとりしていたらもはや客観的ではなくなり改良のアイディアなどは出にくくなってしまう。

楽器研究者として生きる道を選択した以上、もう音楽は楽しまず、音楽を聴いたり演奏したりすることは職業上の義務でありむしろ苦しいものと覚悟しておいた方が良い。音楽を再び楽しむには定年後を待たねばならない。現役の間は何故にこの音楽・あの音が、人を感動させるのか、それはどのような種類の感動か、もっと感動させるにはどうすればよいかを常に考えながら音楽に対峙せねばならない。筆者は学生時代までは音楽好きでオーケストラや吹奏楽団で金管楽器を演奏したり、趣味でピアノやバイオリンを弾いたりしてひたすら音楽の良さに酔い知れる類の人間であったのだがヤマハ入社時に一念発起しこの会社の社員として楽器の研究に携わる限り音楽を楽しむことを断念する決意をした。入社後はあらゆる楽器の演奏方法を知っておくことが音楽家の方々とコミュニケーション出来るためには必須なことと考えて、まだ演奏の訓練を行っていない楽器についても出来るだけ訓練してみた。そのような時間にはいつもこの決意を忘れず楽器を科学的に追及することを第一の目的としていた。同じ職場には音楽演奏が好きだからこの会社で楽器の研究をやりたいという社員が沢山居たが私のような決意をしていると思われる人はあまり見当たらなかった。たぶん彼らからは異論もあるだろう。音楽の良さ・楽しさ、などを十分に味わい続けつつ研究するという考えもあるだろう。しかしそのような心がベースになっているる場合は研究者としての分析精度の細かさ、追求の鋭さが十分発揮されてはいないと思う。そういう音楽好きの社員よりも音楽の知識や造詣はそれほど深くなく楽器の演奏も訓練したことはないけれど数学が良く出来るという社員の方がむしろ仕事で良い成果を出す例が多く見られた。

つまり楽器研究者は「自分にとっては、音楽は苦しみを生み出す原因である」というくらいの覚悟で音楽と接する方が良いのではないかということである。音楽を楽しんでいる一般の人よりも上位の立場で観察が出来なければいかない。仕事に選んだのだから苦しいのは当然だ。

以上ちょっと大げさに表現したかも知れないが、今後まだ長らく楽器の研究に携わる人々の心構えのためのひとつの参考になるのではないかと思い期待を込めて書かせていただいた。定年後の現在やっと晴れて音楽を楽しめる権利が復活してこれほど嬉しいことはないと時々思う。一方、音楽にあまり浸りすぎては楽器創造館の館長も務まらないかも知れないという不安もある。迷える毎日である。

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2008年5月 2日 (金)

ピアノは博物館に送り込めるのか ・・(2)

  前回の「ピアノはいつ博物館に行くのか」の話を続けさせていただく。「電子ピアノがアコピアノを凌駕すること」の意味は「同じ曲をアコピアノで弾いた場合よりも電子ピアノで弾いた場合の方が高品質な音楽を発揮できる状態を得ること」と言えよう。ここで強調したいポイントは「同じ曲を電子ピアノで弾いた場合とアコピアノで弾いた場合との双方が奏者にも、聴者にも同じに聞こえて区別がつかない」という状態を通過点として得ることであろう。これはおそらく必要条件である。なぜかというとアコピアノと少しでも異なる電子ピアノはアコピアノよりも劣ると人は判断しそうだからである。こうなる確率は相当高い。高級な新しい靴と比べても履き慣れた靴が良くて手放せない事実など、音楽以外にも多くの例を挙げることが出来るが、あるものに慣れ親しんでしまった人間は聞き慣れた音をどうしても良いと判断してしまう習性がある。
   いったんこの必要ポイントを通過しておけば、つまり電子ピアノとアコピアノ両者から発揮される音楽が聞き分け出来なくなったなら、もうどちらを使っても人は電子ピアノに文句を言わないことで納得するであろう。そして、それ以降は進歩が止まるところを知らない電子技術を使った電子ピアノの天下になることは間違いなかろう。アコピアノの音が聞きたくなれば電子ピアノをその状態にセットすれば良いのだから。

しかし、そうは言っても数ある伝統的楽器の中でもそれを電子楽器で置き換えることが最も難しい楽器がピアノ型の楽器であろうと技術的に思われている。ということはピアノが博物館行きになる頃には他のほとんどの伝統的楽器も博物館に行かないと見られないような時代になっているということも意味する。

   したがってピアノの博物館送りは容易なことではないのだが、それを夢の話ではないとするためのヒントを次回に少し披露してみよう。まず現在の最先端電子ピアノをもってしても何故アコピアノに比較して品質の点で魅力がないと一般に評価されているのか、その理由を整理して克服することを考えてみよう。

                              (つづく)

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2008年4月21日 (月)

ピアノは博物館に送り込めるのか ・・(1)  

     楽器創造館  永井 洋平

実現にはまだかなり時間がかかるかも知れないが・・・・電子ピアノがアコースティックピアノ(以下アコピアノと呼ぶ)を凌駕した結果、アコピアノを使う必要がなくなり博物館に行って「昔の楽器」としてしか見ることが出来ない時代は来るのか、という話題である。1960年代初期に電子オルガンの生産が日本でも行われるようになった当時はすぐにそうなるだろうと思った人も多かったという。
   電子オルガンの音程は狂わないから調律する必要がないし鍵盤ごとの音色はバラツキなく揃っているので人手がかかる調整の必要がない。ピアノに比べていいことづくめだ。しかし、人間の耳はこのような特長を持つ電子楽器の音を「良い音」として受け入れないことが後日判明した。アコピアノの良さの科学的意味が次第に解明されてそれに追いつき追い越すのは容易なことではないことが分かってきた。
   しかしまだすべてが明らかになっているわけではない。現在でも、「ピアノを博物館入りさせることは永久に出来まい」と予言する楽器研究者も少なくはない。しかし私は「それは研究者の頑張り次第でそれは可能である」と考えている。

次回のメッセージではそう思う理由を説明してみたい。

                               (つづく)

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2008年3月22日 (土)

良いバイオリンを作る ・・・(4)

               楽器創造館  村上 和男   

4.良いオリジナルバイオリンを創るための音響解析と構造振動解析の課題

 良いバイオリンを創るためにはバイオリンのことを知らなければならない。幸いなことにバイオリンについての研究報告や記述した書籍は多い。今まで多くの科学者がバイオリンの音響について研究しており、いくつかの現象や、構造振動特性や音響特性が解明されている。しかしいずれも個別の要因に関するもので、まだ解明されていないことも多いし、こうして作れば良いバイオリンができるということを実証した報告は見たことはない。

バイオリン関係の特許も散見され、なかには新しい構造要因に関するものもあるが、なるほどと思う特許も、実際にそれを具現化するためにはそれ以外の製作要因が再現されなければ効果は交絡してしまって有効性の検証は難しくなる。「高音域の鳴り難い音を鳴らすにはトレブルバーが必要である」という、故、糸川秀雄博士の発明になる特許があり、それを苦労して作って、メニュウインに弾いてもらったら誉められというご自身の著書があるが、この話もその要素を入れたバイオリンを作るのに相当苦労しており、バイオリンとしての出来が不明で、トレブルバーの効果が狙いどおりに発揮されたかどうかは疑問である。

良いバイオリンを創るために進めなければならない研究テーマとしては、

・ ウルフトーンの出にくい楽器と、出やすい楽器の構造振動要因

・ 胴のキヤビティレゾナンス特性;体積形状とfホ←ル

・ バイオリンの音色と音量の遠達性

・ 構造振動特性の経年変化

・ 材質と塗装と音響特性

・ バスバーの作用効果の解明と改良

・ 魂柱の作用効果の解明と改良

等が挙げられる。こうしたテーマの研究を進めていくためには、その製作工程を音響特性の形成過程に従ってモデル化して、再現性のある形で作れるように構築することが先ず必要である。

               --- つづく ---

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2008年3月 5日 (水)

良いバイオリンを創る ・・・(3)  -再ー

                 楽器創造館   村上 和男

3.バイオリン市場とメーカーの動向

視点を現在において国内と海外の市場動向を見ると、市場のニーズは二つあり、ひとつは安価な普及品が求められており、主に中国で量産されている。もうひとつはオールドに代わる、高価な手工バイオリン(New Old)である。ヨーロッパだけでなくアメリカや日本国内でもこれを目指して製作活動をしている職人は多い。イタリアのクレモナでは毎年その技と作品の出来栄えを競う製作者コンクールが開かれ、入賞者の作品は新人でも100万円以上はする。著名な製作者になると200~300万円もする。またバイオリンのオークションで新作でも高値がつくものもある。400万円以上の値がついた例もある。しかしそこでは演奏性や音響特性といった奏者の要因も入る音楽性の評価ではなく、バイオリンとしての外観や出来栄えの価値観が評価されるのである。こうしたバイオリンはオールドを労わるためにセカンドバイオリンとして購入され、練習に使われる。中には作人の実績からその成長性に期待して先行投資的に買われるケースもあるようである。

GやSの製作された当時の演奏性能であって、オールドの持つ音響特性も兼ね備えた、外観がモダンで美しくて、100万円で売れるようなものが安定的にできないものだろうか。

          --- つづく ---

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2008年2月26日 (火)

良いバイオリンを創る ・・・(2)  -再-

        楽器創造館  村上 和男 

2.良いバイオリンとは

オールドバイオリンの骨董的価値、希少価値は別として、バイオリンの音響的価値のライフカーブ(図1)を想定して話を進める。

   -( 図1 バイオリンの音響的価値のライフカーブ )-

 ストラディヴァリウス(S)とガルネリウス(G)の生の音はめったに聞くことができない。数少ない経験ではあるが、バイオリニストが新作の試作バイオリンと自分の愛器と比較して弾くのをバイオリニストの立場ですぐ近くで聞いたり、ホールの客席で聞いたりしたことがある。バイオリニストは客席でどのように聞こえるか気にするものである。バイオリニスト自身の使い慣れた弓で弾いた時のSとGに共通した特徴は、よく整備された健全なものについて言えることだと思うが、?雑音(余分な音)がしないこと。?傍では大きい、やかましい音はしない、いわゆる傍鳴りがしないが遠くまで音が飛ぶ。いわゆる遠音が効くこと。?限りなく弱い音から発音できること。?音の立ち上がりが早く、よく抜けること。をその特徴として共感している。新作のバイオリンと比べればこれらは他のいわゆるオールドバイオリンといわれるバイオリンにも共通しているといえよう。いずれも新作バイオリンにはない特徴である。しかし調整や状態にもよるが、それぞれの固体に固有の欠点もあるのでオールドならばすべて良いということにはならない。SとGでその好みの違いとなる特徴としてGは音量が大きく良く鳴って音域のバランスが良く、音色は落ち着いたものである。Sは音量と音色が音域(弦)により特徴的で、時としてはそのことは欠点にもなるのだが、高域の華やかさ、低域の荒々しさが好まれ活かされている。こうした特徴は主にその形態の差異による。しかしながら、こうした楽器の特徴は演奏するバイオリニストにとっては演奏意図や奏法にも影響する重大なことであるが、観客にとっては実際のコンサートで聞き比べることはないし、ホール音響の特性もあって楽器の特徴まではわかり難いものである。客席ではバイオリンが何であれその演奏が良ければそれでいいのである。ただし、良い条件で収録されたものを聴くとその特徴がわかるものもある。またよく調整された複数のGとSを約10台ずつ著名な奏者が同じ楽曲を同じ条件で、オンマイクで収録したCDがあるが、これを聴くと共通的な特徴とそれぞれの特色を確認することができる。

 以上の要件のほかにも良いバイオリンとしての音響特性の要件はあるわけで、

・ 音量のバランスが良いこと

・ 音色が特徴的で美しいこと

・ レスポンスが良いこと(立ち上がり)

・ 音に芯があること(よく抜ける、クリア)

・ 鳴らない音や変な音色の音がないこと

等、時代とともにその価値観は変わるとしても、これらは良い楽器としての基本的な要件である。ただ、バイオリンにおいてはこれらの要件が、調整の仕方や状態、特に新作の初期の状態では変わりやすいものである。新作では少なくとも数ヶ月のエイジングが必要とされる。従って音響的に良いバイオリンとは、初期のエイジングを経て、よく調整された状態でこのような基本的要件を満たすものであろう。GもSも初期の段階でこれらの要件を満たして高い評価を得ていたと思われる。もちろん音響的な特性だけでなく、当時のバイオリニストの奏法に十分答える演奏性の高いものであったであろう。新作バイオリンもさらに年月を経て良い状態で使われていった場合に古木化効果が進んでオールドバイオリンの資質である?~?が成長していくものであろう。個体差はあるものの現存する健全なGやSや他のオールドもこのライフカーブ(G,SとOld)に沿って成長してきているのであろう。

オールドは厳選素材をじっくり枯らして使用しているはずで、めざす新作バイオリンも材料選別と初期性能アップを加速してライフカーブ(New G,S)の軌道に乗せなければならない。

               -- つづく --

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2008年2月13日 (水)

良いバイオリンを創る ・・・(1) -再-

         楽器創造館   村上 和男

今日から5日ほどにわたり、 バイオリンについて述べてみたい。

1.はじめに

 オールドバイオリンをこぞって求める風潮があるが、現実にはそれがコピーモデルであったり、フェイクであったり、修理改造品であったりして、健全なかたちで現存するオリジナル楽器は少なくなっている。

 形あるものはいずれ壊れる。長期にわたって酷使すれば楽器も疲れて鳴らなくなるのである。二十一世紀はアマチュアにとってもプロにとっても、良いオリジナルバイオリンを手に入れることが難しくなっている。今こそ、製作者や楽器メーカーは良いバイオリンを創ることを目指すべきである。

ガルネリウスもストラディヴァリウスも作られた当時は、300年余経った現在のオールドの味はなかったものの、相当良い楽器であったようである。特にその当時の楽曲を弾くには最高レベルのものであったと思われる。先ずこれをモデルにしてその域に迫り、これにオールドの味を促進的に付加することであろう。

まず、当時と現状の作り方を分析して、良いバイオリン創作の為のプロセスを想定してそれを再現性の高いものに確立することである。次に、目標とする良いバイオリンを創る為の音響解析課題、構造振動解析課題を設定して、それを最適化して特性の積み上げをしていくことになる。これは一朝一夕にはできない大変な仕事である。

                 --- つづく --- 

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2008年2月 6日 (水)

楽器の表現力性能における不確定性原理

              永井洋平  ( 2004年10月5日)

先日ベトナム民族楽器ダンバウ(Dan Bau)を紹介するTV番組があった。ごく単純な一本弦の楽器であるが響板の材料の選別や貼り込み時のクラウン付けには微妙なノーハウがある。奏法も多様で奥深いものがありプロ向けの楽器が製作され独奏者としてのプロ演奏家も居るし、今でも先生について習っている人がベトナム国内には相当居るとのことだ。
このような楽器は先進諸国から見ると未発達な劣った楽器であると一般的には思われるであろう。しかし同じ一弦楽器の胡弓やオンドマルトノについても言えることだが、このような楽器が現役として存続しているという理由はそれが現代でもなお捨てがたい魅力を持っていることにあると認識すべきであろう。

  なぜ一音しか出ない楽器に独奏楽器としての魅力が残されているのだろうか、を考えてみよう。現在主流となっている多くの鍵盤楽器は同時に発音できる数が複数であるから厚い和音が出て豊かな音楽をひとつの楽器から発生できる。しかし一音一音について微妙にコントロールして音楽的なニュアンスをつけることは多くの管楽器や弦楽器と比べて劣っている。つまり、

“一音についての入力分解能 × 同時発音可能数・音色選択可能数 = C(一定値)”

という物理学で言うハイゼンベルクの不確定性原理がここにも適用されよう。

すなわち一音一音に込める芸術感情を細やかにすれば(入力分解能が高ければ)同時発音数や音色選択の範囲の広さは減らざるを得ない。一方、同時に発生する音の数が多かったり、音色の変化幅が広かったりすることは厚い和音を発生できるが一音一音に微妙なニュアンスはつけられないということをこの式は示している。

  しかし留意すべきことは物理学での法則とは異なる点があり、右辺のC値は常に一定ではなく「楽器の性能」によって、または「奏者の訓練度」によって可変と考えるべきである。楽器研究者は人間が訓練可能であることという条件を満たす範囲でCの値を出来るだけ大きな値に持ち上げて高度な音楽を発揮できる楽器を作り上げるように努力をせねばばらない。
つまり演奏訓練の結果でCの値を増加させることが可能になるためにはどのような入力装置を開発すべきか、という目的での改良研究がなされるべきであろう。この視点から新しい楽器が創造されることもあり得ようし、既存の楽器に新たな機能を付加して性能を向上させることも出来よう。

弦が一本しかない古代楽器でも音楽的に有意なニュアンスを各瞬間において微妙に付与することが出来る入力装置があれば楽器の魅力が衰えるときはないのである。

2008年2月 1日 (金)

そしてピアノは静かになった (再)

                楽器創造館  村上和男
                                                                                              

二十世紀末、一九七五~二〇〇〇年の二十五年間にピアノは大きく進化した。

日本に於けるピアノの量産体制は一九七〇年までに確立し、普及は加速した。一九七〇年代のニーズと技術課題は三つあった。

(1) コンサートピアノの完成を目指すこと

(2) 家庭用の減音化・多機能化 

(3) 軽量化・小型化・調律不要化

これらの二律背反的な課題に、技術を継承しつつ、その技術革新にチャレンジした。

その結果次の四つの形態をもってそれぞれのニーズに対応する形に進化した。

? コンサートピアノ ?多機能ピアノ

? 電子型ピアノ   ?電子ピアノ

電子ピアノの位置も確かなものとなった。休眠ピアノも多機能ピアノにリサイクルが進むようにもなった。これは日本のピアノ業界の近年の足跡である。



1.一九七〇年代、なぜピアノの減音化が求められたか  ~まず、電気ピアノを開発、電子ピアノが続く~

   ・ピアノの減音化のニーズとその試み

十九世紀後半、ピアノの構造に鋳物のフレームが取り入れられて、高張力の弦を張ることができるようになって大きな音が出せるようになると、ホールでのコンサートが普及して、ますます大音量がもとめられるようになり、二十世紀はピアノは大音量化の道を歩んできた。これに伴って他の楽器もその革新の方向のひとつは大音量化であった。エレキギターなどの電気楽器もこうした楽器の音量に負けないようにと電気音響を使うものとして登場した。しかし三十年位前から、楽器の音が時として騒音として問題視されるようになると、電気楽器は音量を絞ることができるので問題にはならず、一方、大音量化したピアノ、ドラム、管楽器などがその減音化をもとめられることになった。その方策として、ピアノではまず弱音マフラーが試みられたり、電気ピアノを開発して対応した。一方でインシュレータの開発や住宅の防音工事などにより、近隣騒音問題に対する認識も高まり、マナーも定着して近隣騒音の問題も一応おさまって行った。

当時、ステージバンドユースのフェンダーローズの電気ピアノが注目を集め、各社その類の楽器の開発にしのぎを削っていた。いくつかの方式の中で,ヤマハは通常のピアノから響板を取り除いて軽量小型化して、打弦振動をピックアップするモデルの商品化を進めた。ステージで使うということでベイビーグランドタイプのものであった。これは生音がピアノより20dBほど小さく、ピアノの減音の方策としても有効であるとして、打弦方式のアップライト型の電気ピアノが誕生した。それならばと各社は競って、当時始まっていた簡易キーボード型の電子ピアノをアップライトピアノの筐体に収めた商品を開発し、発売した。意外にも、まずアメリカのNAMMショーに米国メーカーが出品し、国内メーカーがこれに続いた。

しかし、電気ピアノも電子ピアノもその音色も含めた、演奏性に難があって、減音性の追及だけではピアノの代用としては認められなかった。打弦方式の電気ピアノは打撃音やペダル音などの成分が固体伝播音として集合住宅で問題となり、フレームを防振ゴムで浮かせる形にして改善を図ったが、それでも一部の方には満足のいくものではなかった。

当時は減音、消音のための技術シーズがまだまだ不十分であった。しかしこの過程が後のピアノの多機能化と電子ピアノの進化の為の指針を与えることになった。

2. 一九八〇年代、自動演奏ピアノの開発とアプリケーション研究が進む  ~ここでも減音要求、その為の要素技術が育つ~

二十世紀において、ピアノは、演奏の記録再生の手段として基盤技術の進展とともに技術革新を遂げてきたという見解がある。

ピアノの減音化・消音化は引き続き、研究開発のテーマとして継続されたが、一九八〇年代になってマイコンが普及し始めると、コンピュータを活用して、ピアノの演奏を記録したり、自動再生させるなど、ピアノの多機能化システムの開発が急務となった。

その結果、消音ピアノの完成の前に自動演奏ピアノの普及があり、自動演奏ピアノがレッスンやエンターテイメントで話題を得る反面、ここでも皮肉にもピアノの静粛性が求められることになり、消音化、減音化のための技術開発が進んだ。ひとつの方策として、アップライトピアノでは、ハンマーストップレールを前進させて打弦距離を縮め、打鍵データを弱めにすることで、減音して再生することが可能となった。

一方で、ピアニストの実演奏に迫るハイパフォーマンスを達成するためには、発音のタイミングと音量制御をいかに忠実に行うかが課題であった。その鍵となった技術は非接触の光方式のセンサーシステムの開発であった。当時普及し始めたプラスチック製の光ファイバーを使ってそのシステム開発にチャレンジした。これが後の消音ピアノ開発の為の最も重要な要素技術にもなった。

ピアノは八十八鍵が標準で、センサーにしてもアクチュエータにしても各鍵ごとに対応することになり、コスト、製造工程、メンテナンスを考慮していかにシステム化するかが大きな課題であった。又従来のピアノの性能を損なうことなく、電気・電子部品やメカトロ部品をいかに現行のピアノにあわせて組み込むかが製造技術上の課題であった。ピアノの個体差と調整状態が特に弱音再生性能の限界となった。原理的に、鍵盤の後方を突き上げる駆動方式もネックとなった。当時は自動演奏ピアノはピアノ自体を革新するまでには至らなかった。

  ・アプリケーションの開発と普及

自動演奏ピアノがただ自動で鳴るだけでは普及は限られており、普及のためにそのアプリケーションの開発も進められた。これがあとで消音ピアノと融合した多機能ピアノが普及するためのベースとなった。



3.一九九〇年代、消音ピアノが開発され、その効果が波及した  ~まず、サイレントピアノ誕生、他のサイレント楽器が続き、演奏シーンも多様化~

  ・サイレントピアノ誕生

今から十年以上前の一九九二年に「サイレントピアノ」が誕生した。その誕生までには、自動演奏ピアノの普及があり、眠っていたピアノが鳴り出すと煩がられることにもなり、減音のための技術開発が進んだ。その中でもタッチに影響を与えない非接触の光センサー技術と消音化技術の開発に進歩が見られ、一方で電子音源技術も音質の良いPCM音源が普及し始めたことと相俟って、従来のピアノにミュート機構と電子音源を併設する形で、「サイレントピアノ」が完成した。最初にイタリアのメーカーがヨーロッパに出品して各社がこれに続いた。

ミュート機構はハンマーが打弦の直前でそのシャンク部を受け止めて打弦に至らしめないようにするもので、従来のミュートマフラー方式を進化させたものといえる。もちろんタッチに影響しないというのが大前提であった。本来、静粛性の意味合いで、電気ピアノを開発していた昭和五十年に「サイレントピアノ」の商標登録申請をしたものであるが、ここで商品名として採用され、「サイレントピアノ」が誕生した。

しかしながら、ピアノが静かになって何をするか、何ができるかが問われることになる。アプリケーションソフトの開発も必要となる。消音してみると、ピアノの雑音がクローズアップする。ピアノの雑音成分の研究が進む。サイレントピアノの誕生はピアノの進化を促進することになった。

  ・ サイレント楽器の開発が続く

サイレントピアノの誕生がきっかけとなって、センサー技術とデジタル信号処理技術を基盤にしてすべての楽器がその減音化・消音化と多機能化を目指す事になった。

トランペットは愛好家も多いが、その音量が大きいことから、練習場所と時間に悩むものである。さまざまなミュートが市販されているが、その主な目的は音色を変えることであり、音量がそれほど下がらず、吹奏感も変わって、音程にも影響する。これらの点を改良して画期的なミュートシステムが完成した。ベル開口部に装着する特殊ミュートにマイクロフォンを組み込んで、これで拾った音をヘッドフォンで聞きながら演奏するもので、ホールの残響効果も付加できて実に気持ちよく吹けるものである。これは「ヤマハサイレントブラス」シリーズとして、トロンボーン、ホルン、ユーホニウム、チューバへと続いた。

バイオリンやチェロを弾きたいと憧れを持つ人は多いのだが、演奏の難しさとともに、音色からくる、そのやかましさも障害となっている。軽量で、バイオリンと演奏性の互換性があり、生音が十分に小さいものということで、今までに無かった電気バイオリンの開発に至った。それを「ヤマハサイレントバイオリン」として、平成九年から発売してきており、国内のみならず海外でも好評を博している。その後サイレントビオラ、チェロ、コントラバスと続いてシリーズ楽器がそろった。

そしてついに、ギターもクラシック、フォーク、ワイドネックモデルがサイレントになって、深夜に誰に聞かれることもなく自分だけのメロデイを楽しめるようになった。

  ・電子型ピアノ誕生

サイレント楽器とは「消音性は完全な無音化が求められるわけではなく、静粛性が許容できる程度に減音されて、同時にその音色、奏法等の演奏性が限りなく本来の楽器に近い多機能なものである」と定義することができる。その意味で、従来の電気楽器はサイレント楽器とは言えない。一般に電子楽器は消音してヘッドフォンで聞きながら弾くことができても、それだけではサイレント楽器とは言わない。電子ピアノでも、グランドピアノの鍵盤とアクションを搭載して、打鍵から発音までのタイミングを調整して、ダミーハンマーのスピードを検出して音量を制御する電子型ピアノはサイレント楽器の仲間入りをしたと言えよう。これは電子ピアノの今後の進化のひとつの方向を示唆するものでもある。 

最近のモデルではコンサートグランドピアノの生音をステレオサンプリングした16MBの専用音源搭載でペダル共鳴効果音の表現も可能となった。消音機能、自動演奏機能、アンサンブル機能を目的に合わせて組み合わせて選ぶこともできる。

こうしてピアノは静かになって、サイレント楽器の仲間も増えて、その楽しみ方も活用の幅もひろがった。ピアノは消音化という二律背反的な課題に取り組んで、電子ピアノも加えて、四つの形態に分化して、それぞれのニーズに対応する形に進化してバランスした。電子ピアノの占める位置も確かなものとなった。ピアノは四半世紀をかけて静かになった。

(以上、2003年 日本音響学会秋季研究発表会特別公演より抜粋)

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2008年1月19日 (土)

楽器の表現力性能における不確定性原理 (再)

           永井洋平  ( 2004年10月5日)

先日ベトナム民族楽器ダンバウ(Dan Bau)を紹介するTV番組があった。ごく単純な一本弦の楽器であるが響板の材料の選別や貼り込み時のクラウン付けには微妙なノーハウがある。奏法も多様で奥深いものがありプロ向けの楽器が製作され独奏者としてのプロ演奏家も居るし、今でも先生について習っている人がベトナム国内には相当居るとのことだ。
このような楽器は先進諸国から見ると未発達な劣った楽器であると一般的には思われるであろう。しかし同じ一弦楽器の胡弓やオンドマルトノについても言えることだが、このような楽器が現役として存続しているという理由はそれが現代でもなお捨てがたい魅力を持っていることにあると認識すべきであろう。

  なぜ一音しか出ない楽器に独奏楽器としての魅力が残されているのだろうか、を考えてみよう。現在主流となっている多くの鍵盤楽器は同時に発音できる数が複数であるから厚い和音が出て豊かな音楽をひとつの楽器から発生できる。しかし一音一音について微妙にコントロールして音楽的なニュアンスをつけることは多くの管楽器や弦楽器と比べて劣っている。つまり、

“一音についての入力分解能 × 同時発音可能数・音色選択可能数 = C(一定値)”

という物理学で言うハイゼンベルクの不確定性原理がここにも適用されよう。

すなわち一音一音に込める芸術感情を細やかにすれば(入力分解能が高ければ)同時発音数や音色選択の範囲の広さは減らざるを得ない。一方、同時に発生する音の数が多かったり、音色の変化幅が広かったりすることは厚い和音を発生できるが一音一音に微妙なニュアンスはつけられないということをこの式は示している。

  しかし留意すべきことは物理学での法則とは異なる点があり、右辺のC値は常に一定ではなく「楽器の性能」によって、または「奏者の訓練度」によって可変と考えるべきである。楽器研究者は人間が訓練可能であることという条件を満たす範囲でCの値を出来るだけ大きな値に持ち上げて高度な音楽を発揮できる楽器を作り上げるように努力をせねばばらない。
つまり演奏訓練の結果でCの値を増加させることが可能になるためにはどのような入力装置を開発すべきか、という目的での改良研究がなされるべきであろう。この視点から新しい楽器が創造されることもあり得ようし、既存の楽器に新たな機能を付加して性能を向上させることも出来よう。

弦が一本しかない古代楽器でも音楽的に有意なニュアンスを各瞬間において微妙に付与することが出来る入力装置があれば楽器の魅力が衰えるときはないのである。

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2007年12月25日 (火)

楽器を評価する力  (再)

                        (楽器創造館 永井洋平)

古い話で恐縮だが昭和38年ころからヤマハで始まった世界一の管楽器を日本で作るプロジェクトの初期の話からこの新シリーズ「楽器よもやま話」を始めることにさせていただく。それまでは日本製の西洋楽器は外国製品のコピー設計ですべてが作られていたと言っても良かったが正確にコピーするという技術は簡単なことではなかった。つまり後日分かったことだがコピーの精度が極めて不十分だったのだ。当時、日本製品はプロの奏者からは全く相手にされていなかったが外観は普通の管楽器に見えたので、メーカーはその設計ではどんな品質が不十分なのかという認識がなかった。欧米の名声あるメーカーには何か特別な秘密の製法ノーハウがあって日本メーカーはとても及ばないという諦めの意識もあった。

そこで、このプロジェクトでまず取り組んだことは楽器種毎に当時の一流奏者の間で世界一と言われていた3社の最高級モデルを各3本ずつ買入れて1本を破壊検査、2本を非破壊検査と性能テスト用として音響学的に有意味な箇所を出来るだけ精密に測定し材質については楽器の部分ごとに定量分析や特性の測定を行い、それが生産された加工方式を探った。そして結論として、ヤマハでやれば出来ることを確信したので経営者に「適当な投資の範囲内で世界一の管楽器が浜松で遠からず生産できると思います」と進言した。

最初の試作プロジェクトにはトランペットが選ばれた。試作方針としては、手っ取り早さを重視してそれまでは精度が低かったコピーのレベルを上げるだけで良いとする案もあったが、それでは結果の応用性が少ないし、世界一の楽器を作るという目的を遂げるには不十分であったので採られなかった。また理論的に流体力学と音響工学に基づいた検討や実験を行いそこから演繹的に最良設計を見出すべきであるという科学的な方法論をとる説もあったが現実的に要求された仕事のスピードを考えるとその採用も困難であった。結局その当時各分野で盛んに導入されていた実験計画法によって寄与率の大きい要因を見出し、それぞれの組み合わせで最適水準を見出して最適設計にたどりつく方法がとられた。この手法の弱点は科学的な現象をあまり追求せず一足飛びに「良い悪い」の結果を求めること、つまり理屈は良く分からないが結果としてこのように作ったものが良かったのだからそれを採用するというものである。従って、果たして結論で得た仕様が本当に最適仕様なのか、それ以上の仕様はあり得ないのかということに疑問が残るという欠点があるので技術者としての満足感はイマイチではあったがそれ以上の追求はその後に行うということで皆が納得し試作にとりかかった。要因は朝顔管、吹き込み管、直管についての形状(内径分布)、材質、厚さ、など設計に関する主要な要素を割付けて合計32本をワンセットとする試作を行うことになった。

このとき、もっとも苦労したことは出来上がった32本の音の良さの評価である。当時一流とされるオーケストラのメンバー、音楽大学の先生、ジャズ音楽奏者の方々に評価パネルになっていただくようにお願いして、一人一人が32本すべてを吹奏して、音量、音色、演奏し易さ、表現力、などの評点付けをしてもらうのだが奏者がまじめで誠意が大きければ大きいほど、繰り返し入念に奏してから評点していただくので時間とエネルギーがかかる。なかには評価を引き受けてはみたがとてもシンドすぎるので途中でイヤになってしまう有名演奏家もおられた。そういうときはよく趣旨を説明してわが国でよい楽器が生産できれば楽器メーカーだけでなく日本人奏者にもひいては音楽界全体に益あることをよく理解してもらい、粘り強く頑張ってもらうようにこちらも粘り強くお願いした。特に評点付けに慣れていない奏者が多かったのでその必要性を理解してもらうのに手間取った場合が多かった。やっと作り上げた楽器の試奏テストは楽しいはずであったが、身体的・精神的に苦労が大きいプロセスになった。

しかし、その甲斐あって非常に有用な結果を得ることが出来た。要因の主効果としては管内径形状、とくに朝顔管部分の効果が圧倒的に大きく出た。他の要因についても納得感がある結果が検出された。そしてそれに続く試作を続け自信作がまとまったところで改革されたトランペットとして発売した。

トランペットの成功後、会社は管楽器への開発投資に自信を得て世界への道を着々と広げ、他の金管楽器・木管楽器についてもいくつかの課題を克服しつつ成果を上げることが出来た。各楽器の開発段階について共通に言えることは、設計精度、加工精度を向上させることに劣らない成功の鍵が試作品の音についての評価の精度を十分に上げることであったように思う。つまりシンドイ仕事にも安易に妥協しないことであったということである。

     (写真-1) 

初期の試作トランペットを試奏する金石幸夫氏(N響、故人)昭和40年頃

     (写真-2)

初期の試作クラリネットを試奏評価する藤家虹二氏、昭和43年頃 

楽器メーカー内で実際に見かける開発事例では評価が不十分なままで終わってしまう例が実に多いように思う。評価担当社員および評価を依頼された奏者の両者ともに、あまり時間をかけることなく通り一遍の試奏によって結論を出すことで仕事が終ったとする方がよほど楽なので、ともすればそれに陥りがちである。つまり十分な評価をせぬまま安易に結論を得て終りにしてしまっている。楽器を改良する仕事においては試作品が従来品と比べて改善されたのか、残念ながら却って改悪されてしまったのか、同じなのか、どのくらいどの性質が変わったかなどをきちんと評価せねばならない。評価が出来ないことには仕事は完結しない、つまり目的を達成しないといっても良く、それまでの努力と開発費用をドブに捨てているようなものである。評価が不十分な試作を積み重ねても本当の意味での進歩はなかろう。神様からみたら真実に到達していないのだ。安易なやり方で出した結論はもともとアテにならないのだから、次の追試で結果がひっくり返りどうもオカシイ、分からなくなったということになる。

また、たいがいの場合は社内にその不十分さを追求出来る眼力と権限を持つ人が少ないので見過ごされてしまうのが実態であろう。

信頼度が高い評価データを採るためには、奏者、研究担当者がともに苦しんでシンドいテストを繰り返して頑張る必要がある。評価のための費用もかかるが得た結果がいい加減なために全体費用が無駄遣いに終わることと比べたら雲泥の差だ。

 

では評価をどのように行うべきなのかを考えてみよう。まず留意すべきことは「評価をするのは機械ではなく人間である」ということである。楽器が出力する音楽がどのくらい良いか、つまりその楽器の音の価値は機械による測定ではなく人間が耳で聞いた結果で決めることには誰も異論はなかろう。測定データから良い音のハズであることが推定されることはあり得るが、最終的には人が良かったと思う音が良い音なのだから機械は評価に関しては決定権を持たない。

しかし一方、測定器としての人間にも大きな弱みがあることは看過できない。まず、好みの個人差がある。Aさんが良いと評価したものがBさんやCさんにとっても同様に良いという結果がいつも得られるとは限らない。さらに評価分解能の個人差がある。AさんとBさんが評価対象のXとYの間に違いを見出せない、或いは無視し得る程度の差しかないとしてもCさんにはXとY間に明確な違いがあると評価するかも知れない。また同じ人間でも安定性に欠ける。つまり、本日の評価をした人間が体調や気分が変わった後日、同じテストを行ったときに同じ結果を再び出すとは限らない。人間だけが評価を決定出来ると述べたが、実は人間には欠点だらけなのだ。したがってこれを補う意味で技術が発達した現代の機械を活用することが大いに考えられる。

ではどのような工夫をして人間と機械を使い分けて評価することが望ましいか考えてみよう。まず人間による評価における留意点だが、まず先に述べた人間の欠点が出来るだけ少ない人(感覚検査用語で「良質のパネル」という)を評価者に選ぶこと、つまり評価に安定性があり(同じテストで同じ評価結果を出す)、分解能も高く(微妙な違いも検知出来る)、評価の妥当性がある(その人が良いとするものが市場でも受け入れられる)能力が高い人である。一流音楽家でも良い評価者ばかりとは限らない。音楽家はメーカーから見れば大切なお客様であるからめったに本人の評価の信頼性をチェックするテストを行えないし、また行ったとしても結果についてはその人自身には報告しないのだが、本人からの希望があればその限りではない。結果を知らされて本人も自分の評価力のなさを知って驚いたり落胆するときも少なくなかった。このような事実は「一流音楽家による楽器の良否判断に間違いはない」と信じている一般の人はもとより楽器メーカー内でも信じてもらえない場合が多い。何とか科学的に正しい評価をしようとして頑張った経験をした人だけがこれを読んで「そのとおり」といってくれるように思う。また、稀にではあったが、このことを良く承知してくれている名演奏家も居た。たとえばサキソホンの世界的奏者であったミシェル・ヌオー氏(フランス・ギャルド吹奏楽団)は奏する楽器が見えてしまっては自分自身の偏見に左右されて評価する惧れがあるとして自らすすんで目隠しバンドをして長時間にわたるブラインドでの吹奏評価をしてくれた。

    (写真-3) 

目隠しして試奏評価するヌオー氏、昭和43年頃

人間による評価は最終的にはもちろん必要であり「ヤル気のある評価担当者とヤル気のある奏者の組み合わせ」を持つことが重要なのだが、一方で熱心に正しい結果を得ようとすればするほど時間と経費(奏者に支払う謝礼金などを含む)が嵩んでくる。従ってコストのかかる人間評価を出来るだけ機械を使って補う努力をすることを忘れてはなるまい。楽器の良さに関わる科学的な仮説を立てて、その仮説の真偽をチェックするために有効な科学的データが採れるように工夫を行う。測定された客観データによって裏付けられれば人間によるテストを数多く繰り返して確認しなくてもその仮説は間違いないものとして納得ができる。

耳に入る音響信号自身のデータが有効な場合も多いが、それだけでなく、音響に関与する振動、その他の製作プロセスで入り込む物理データの方が奏者の評価と関連付けやすいときもある。その試作を行った目的、つまり何の特性に着目して試作したのかを明確にしてその特性の値が実際にどうであったかを確かめることがすべての楽器の改良試作に求められることであろう。つまり、測定により物理現象を定量的に捉えておくことが出来れば試作で取り上げた要因に関する効果を抽出するために大いに役立ち人間による評価を軽減することにも寄与するであろう。こうした面での各メーカーの競争力は担当者が日頃、楽器の性能と関連する物理特性への技術的着眼力を養っているかどうか、および測定技術その他の技術力を総合的に磨いているかどうかにかかってこよう。

メーカーが正しい評価を如何に効率的に行えるか、つまり強い「評価力」を持つことが、そのメーカーの「楽器研究力」の基本であろう。

2007年12月22日 (土)

MITメディアラボと楽器の創造 (再)

             

                     (2006年2月20日)       永井洋平

ボストン近郊にある名門マサチュセッツ工科大学(MIT)にメディアラボが設立して20年余が経過した。初代所長ネグロポンテの意向で設立以来ユニークな運営方針がとられている研究機関である。スポンサーから大半の研究資金を集め、優秀な研究指導者と大学院学生を確保するために高倍率の選抜試験があり採用された学生にも給料が支払われている。所員とつきあってみるとさすが創造力、問題解決力が豊かな優秀な人材が多いことが分かる。

これまでアラン・ケイ(PC開発)、シーモア・パパート(Logo言語),マーヴィン・ミンスキー(AI理論)などの有名人がこの研究所に属し発展に一役買っている。研究所の研究活動についてはURL http://www.media.mit.edu/にかなり詳しく出ているのでそちらに譲るが多くの分野で基礎的研究が行われる一方、一見すると実用的すぎるコセコセしたテーマを多くやっているようにも見える。メディアラボでは末端の応用研究だけではないか、との感想を述べていた会社重役が居たがそれは当たってない。テーマの元は革新性の高い基礎研究でありその応用例を分かり易いデモでスポンサーに常に示すことをモットーとしているのだ。メディアラボの研究を正しく理解するためには野暮に見える応用例だけではなくその研究の真のターゲットを知る必要がある。

最近、紙のように折れ曲がるディスプレイに使える電子ペーパーの実用例が報道されている。実はこの技術の発想と開発はメディアラボのヤコブソン研究員が18年前からやっていたものだ。しかし彼の名は一向に表に出てこない。人体の動きでディスプレイされた映像をリアルタイムで制御する方式も街でよく見受けられるがこれも同じころパラディソ研究員などが開発していたのだが彼の名は出てこない。実はメディアラボは特許戦略がまるで出来ていなかったのだ。ネグロポンテ所長は研究成果は公開されるべきであり独占することは悪であるという持論があり特許に無頓着なことを誇りとしていた節があった。しかし、その後スポンサーを含めて議論を重ねた結果ついに特許部門をスタンフォード大学などから指導を受けて強化せざるをえなかった。特許法を悪法とする理屈はたしかにある。しかし世の中に別システムを創ることは困難であることを遅まきながら気がついたのだ。

この研究所では次世代メディアに関する諸々のテーマの中で楽器を含めた新しい音楽芸術の開発にも力が入っていて、新形式のオペラ、新しい電子音源アルゴリズム、新しい入力装置の楽器、自動作曲方式などをマコーヴァー、パラディソ、バーコー、ガーシェンフェルトなどのリーダーシップで取り組んでいる。(詳しくは上記URL参照)。彼らの成果はかなり頻繁に新聞などで報道される。しかしながらそれらは結果としてデモや特殊な曲に試用されるにとどまり、それを引き受けた演奏家以外の演奏家はあまり使おうとしない。したがって世の中に普及せしめた音楽関連の成果は残念ながら見当たらない。つまり人々が「あれは良かった。もう一度聞きたい」という気に十分ならないからリピート需要が生まれないのだ。音楽の世界での人々の保守性を改めて確認する結果となっている。後世にも残る楽器を創造する仕事はそれほど簡単なことではない。開発力がある日本のメーカーなどとうまく連携プレーが出来ると面白いと思えるようなテーマもあるのだが・・・。この研究所の行方には引き続き注目して行きたいところである。

2007年12月 2日 (日)

金管楽器の吹きやすさと鳴らしやすさの要因

3回にわけて書いていきます。

 1. はじめに 

金管楽器、特にトランペットは音程特性が良いことは楽器としての一つの基本的な要件ではあるが、音程が特別悪くない限り楽器の良さは音色と吹奏感の良さでもって評価される。それは奏者の奏法と音響管の特性の相乗効果として感性的に評価されるものである。ここでは奏者の奏法に関する要因と音響管の音響特性に関する要因とそれらのインタラクションに関する要因に分けて検討してみたい。


 2. 金管楽器を吹いて鳴らす

 トランペットの吹奏系における発音は、奏者の口腔から唇に圧力をかけて振動させ、波動をマウスピースから入力して管体音響管と連成振動をひきおこすことである。吹奏感に関わる、発振し易さ、吹き易さ、音量、音色などの要因はこの吹奏系に依存することになる。開口ベル部の形状や板厚などは放射特性に関わる要素であり、放射音として吹奏感にも影響する。金管楽器のサイレント化のための特殊ミュートの開発も進んでいるが奏者にとっての吹奏感と音色をさらに良いものにしたいところである。  -(つづく)-

        

      楽器創造館   村上 和男

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2007年11月10日 (土)

ストラディヴァリは本当に名器なのか

(楽器創造館HP: http://homepage3.nifty.com/mikms/より抜粋)

 

               永井 洋平 (2003.12.01)

楽器に関する科学的研究が世の中に役立つためにはどんなかたちの研究成果を出せば良いのか。それはまさに当HPがその存在目的としていることなのだが、直感的に言えば新しい楽器が創造開発されたとき、既存する楽器が改良されたときなどに成果があったと言えるのであろう。しかし他にもないことはない。それは楽器に関して世の中に信じられている説で従来は科学的に十分に裏づけが出来ていなかったものを迷信なのか、真実なのかをはっきりさせて、もし迷信であれば、その説によって人々が動かされてきた世界を正してあげるということがある。迷信はどこから生まれたのか。それは、例外もあろうが一般に楽器の演奏技術習得の世界(ピアノ、バイオリンでも邦楽でも)での師弟の上下関係はとても強いので「生徒は先生のいうことはそのまま信じ、先生の先生の言ったことを先生は信じている」ので初代の先生が言ったことが迷信であったとしてもなかなかそれを継承者が覆すことは難しい。さらに迷信の内容は一般には真偽が非常に微妙な課題なので(逆に言えば微妙なことでなければ、長く信じられることはなかろう)音楽の専門家自身も自分だけでは確固とした判断が出来ない課題が多い。したがって自分の先生から聞いたことを鵜呑みにする。それについて科学者がちょっと疑問を挟むと「演奏も出来ないし音の良し悪しの判断もよく分からないのに・・・」といった調子で一蹴されることが多い。

ひとつの典型的な例はバイオリンの世界であろう。300年ほど前にイタリアで製作された楽器がオールド楽器として珍重され高価で取引される。特にストラディヴァリやガルネリの現在の相場価格はxx億円だそうで単位重量あたり価格は“金(Gold)”よりもはるかに高い。しかも骨董品としての価値からの値段ではなく「楽器から出る音が良いからその値段がついて当然」と認識されているそうだ。ではストラディヴァリやガルネリは良い音の出る楽器の作り方を本当に知っていたのだろうか。客観的にはとてもそのようには信じ難い。当時は科学的知識のレベルも低く、現在は入手できる高性能の精密機械、計測器もない。材料を処理して特性を調整する化学技術、特性を管理して再現させる技術、形状寸法を正確に作る機械加工技術など、バイオリン製作に必要とされるどの技術をとっても現代に比較してはるかに劣っていた。さらに300年後の現代にちょうど良い音になる、または良い音を現代まで保持するように作っておく技術などを保有していたとは思えない。百歩譲って、ストラディヴァリなど昔のイタリアの名工達が神がかっていた超人であったとしてこれら技術を昔でも調達できる器具などを用いただけですべて、現代知識・現代装置を用いて実現できるレベル以上の技術をマスターしていたとしよう。しかし現存する彼らの楽器はそのほとんど全部が後世の修理業者によって修理加工が施されオリジナルの状態とはかけはなれた状態になっていることは事実である。例えばストラディのスクロールだけがオリジナルでその他は劣化した部分に部材がつぎ足され、表板・裏板ともに大きいつぎ板が貼られて補修されている楽器がある。それでもストラディやガルネリとして取引され、良い音を出すハズだからといって買った人は良い音が出るまで、その楽器に適合する演奏技術を時間をかけて頑張って磨いてしまう。頑張った結果(世界一級の音かどうかは分からないが)まあまあ良い音が出る結果になる場合は多かろう、ということは科学的にも理解できる。本日も世界中のどこかの修理業者がストラディの割れを見えなくするために板を張り替えたりしているのだ。楽器が楽器だから修理代も高く請求できるし、持ち主も割れが見えなくなったその楽器を売るときに高い価格で売れる。

上記のような考察からは科学者としては「ストラディなどのイタリアオールドバイオリン珍重」は迷信であるとする説に軍配をあげたい。もちろんまだ有無を言わせぬ科学的証拠をつきつけたわけではないから100%の断定は出来ない。しかしオールド・バイオリン珍重説が存在することによってその真の価値以上に取引価格をつりあげる力が大きく働いていることは確かではなかろうか。その説を頼りに不当に利潤を得ている販売・修理業者を間接的に育てている音楽専門家の責任も大きいのではないだろうか。

この世界は科学のメスをもって正せるのではないだろうか。すなわち楽器科学技術の研究成果として、「迷信に基づく商品価値にもとづいて価格が決まって現実に取引がされている世界」を少しでも納得感のある正しい方向に導きたいものだ。

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2007年11月 3日 (土)

デジタル楽器の誕生と進化・・・2

(楽器創造館HP: http://homepage3.nifty.com/mikms/より抜粋)

                 空川 英継 

 

Ⅱ.デジタル楽器の特徴と分類

  (1)  楽器の演奏系の仕組みとデジタル楽器の特徴

  (==図3 楽器の演奏系モデル)

一般に楽器の演奏系モデルは図3のように表される。自然楽器の演奏系モデルでは各モジュールの構成があいまいで奏法入力によりそれらをコントロールするのが難しく、演奏性を奥深いものにしている。これに対してデジタル楽器の特徴は、ハード構成において、先ずはこの系の楽器本体内で発音源としてデジタル音源を使っていることである。共鳴体の効果をデジタル信号処理してつけたり、大容量化したメモリに共鳴効果も含めた多様な音源データを持たせたりしているものもある。また入力装置はそれぞれの楽器の奏法に対応するものに進化している。そこにはインタフェースの形態や入力信号のセンサーとその信号処理技術の工夫が見られる。放射体は通常のスピーカーによる音放射であるが、共鳴体の効果を付加するものもある。そして音響信号出力のポートを有している。一方でその演奏性や機能面において、自然楽器の演奏性能に迫るものも出てきており、その多機能さから特定の用途分野においては自然楽器の代用というよりはむしろそれを凌駕するものとなっている。またメディア性を持って用途も多様化して来ている。

こうして楽器の演奏系モデルとしてデジタル楽器の特徴をみてくるとデジタル楽器は「デジタル音源を搭載、インタフェースからの奏法入力に応じてデジタル信号処理と通信・制御により音響信号処理して音放射する多機能な楽器」と定義できよう。


  (2)  デジタル楽器の分類

現在誕生しているデジタル楽器をその性能と機能の軸で分類してみると図4のようになる。機能の面では使われ方において代用楽器とエンタテイメントに2分し、性能の面では演奏性と音色に特徴をもつものに分けている。

  (==図4 デジタル楽器の分類)

デジタル楽器は機能と性能がますます革新され進化されるであろう。現在MAX・MSPなど自分の電子楽器を容易に作ることができる環境ができてきた。メーカでは利潤に結びつかないと製品化できないが、研究試作段階ではそれまでにない色々な演奏入力方法、あるいは単なるスピーカーによらない音の放射方法なども試されている。今までの様にアコースティツク楽器の物まねでなく、デジタル楽器の音質/表現力を向上させて、楽器の演奏系モデルとしてその機能・性能においてアイデンティティのある楽器に進化させていくことである。 (以上で、図1,2とその説明は 日音講演論文集’03.9「電子楽器音源方式の開発」より抜粋引用させて頂いた。)

2007年11月 1日 (木)

デジタル楽器の誕生と進化・・・1

-- 今回は2回に分けて「デジタル楽器の誕生と進化」について振り返ってみる。 --

 
はじめに

半導体はここ数十年の間に集積度を高め、コンピュータやデジタル信号処理の技術が応用できるようになって、その恩恵は様々な分野に浸透している。電子楽器も例外ではなく、1980年代初頭よりデジタル化・コンピュータ化が進み、音質や機能が大幅に進化した。現在では100音以上の発音数・数千種類の音色を持ち、残響付加などの効果器なども装備するまでになっている。一方その演奏性や機能面において、自然楽器の演奏性能に迫るものも現出しており、その多機能さから自然楽器の代用というよりはむしろそれを凌駕するものとなっている。またメディア性を持って用途も多様化している。21世紀になった現在、デジタル楽器はさらなる進化を遂げつつある。

Ⅰ.デジタル楽器誕生の背景

次に挙げる4つの技術の進歩によるところが大きいといえよう

  (1)  デジタル音源の進歩

   (==図1 デジタル音源の進化)

1980年代から2000年代にかけて電子楽器は大幅に変貌した。その音源技術の進化の経緯を図1に示す。図の下方には第1章と第2章で見てきた、ピアノの進化の過程と消音楽器・減音楽器の誕生の経緯をまとめて併記してみた。デジタル音源の進化の過程と良く連動していることが覗える。その産物として本章の主題のデジタル楽器として電子型ピアノが誕生している。

いろいろな方式の試作や検討が行われた中でFM方式が電子オルガンの主な音源方式として採用され、電子オルガンのデジタル化が推進されたのであるが、純粋に技術的な要因だけでなく開発関係者の熱意といったものも方式を決定する要因となった。FM方式を実際の電子楽器へ適用するにはフイードバックFMなど周辺技術の発明が必要であり、それがあって初めて実用化されたのである。

デジタルフィルタもFM音源だけでは作ることのできないスペクトル形状(人声など)を実現するために導入された。任意の特性を作ることができるように音声で用いられていたARフィルタを採用した。次世代のシステムではARMAに改良されている。当時の回路技術では積和計算が困難であったのでシリアル演算を用いている。また遅延の段数を2段にすることによって低域の特性をカバーしている。

FM方式では打楽器音を作るのが難しい為にPCM方式の開発も検討されていた。1980年代初頭にアメリカでPCMの電子ドラムマシンが発表された。電子オルガンにも採用することになり急遽LSIが開発された。当時はメモリ容量も小さくビット数も使えなかったので非線形の量子化やプリエンファシスなどを用いてノイズを低減させた。この時点ではまだPCMでピッチを変える技術はまだ成熟していなかった。

このとき開発された電子オルガンにはデジタル残響付加装置も装備しており、オールデジタル化が実現された。次の世代ではPCMもピアノ音などに用いられるようになった。この時点でもまだ回路の規模的に波形の補間演算が実現できなかった。そのためピッチの変化はサンプリング周波数を変化させる方法で行った。この方式をピッチ同期方式と呼んでいる。連続的にはサンプリング周波数を変化させることはできないので、800kHz程度の速いサンプリング周波数で量子化された値に変化させていた。こうすると他のFM音源などと整合性がとれないので、インタフェースのLSIを作成してサンプリング周波数をそろえることを行っていた。

音源技術の利用はマルチメディア分野・通信分野に広がり、そのための規格も作られている。小規模な電子楽器でも主にコストの面から1つに固定されていた音源方式が並存できるようになり、FM方式/PCM方式/物理モデル方式/その他の方式の特徴を生かして混合して使える様なシステムになっている。音作りのノウハウもできて音質/表現力が今まで以上に上がってきている。それだけではなく弾く人のテンポに合わせて自動的に伴奏をつけたりという具合に単に弾く楽器の枠にとらわれない発展をした。

一方コンピュータの方はCPUの処理能力が上がりソフトウェアで音源を実現できるようになった。ソフトウェアシーケンサもMIDIデータだけではなく波形処理も可能となり、ソフトウェア音源と合わせてマスタリングまで含めた音楽制作がコンピュータだけでできるようになっている。さらに映像との融合も進んでいる。


  (2)  デジタル信号処理の進歩

現在主流であるPCM音源の概略のブロック図を図2に示す。1音を発音する単位を発音チャンネルと言い、チャンネル毎に時分割多重演算を行って回路規模を削減している。音源開発では方式開発だけでなくこのようなシステム構成の開発も重要なテーマであった。

   (==図2 PCM音源のブロック図)

 半導体の集積度が向上したといっても無尽蔵に回路を搭載できない。どの部分を削るかがLSIの仕様を決める上での重要な鍵である。システムが1つのLSIに収まりきらず複数個のLSIに分割する場合もあった。

波形演算部は楽音波形を発生させる部分であって、制御インタフェースからの情報を受け、位相計算・振幅計算・波形補間・フィルタ演算などを行う。このような回路構成は音源方式によって異なっている。たとえば物理モデル方式では色々な演算を能率的に行うことができるようにDSP構造になっている。


  (3) 通信技術の進歩

MIDIやUSBの規格が整備されて、データの通信や他の楽器やコンピュータとの通信のインタフェースとして楽器の機能を多機能なものにしている。特にUSBでは高速なデータ転送を可能にするUSB2.0に対応した高性能オーディオ・インターフェースも提供されており、パソコンとの間に高音質のオーディオ入出力を実現している。


  (4) 素形材技術の進歩

素形材技術の進歩によってどんな形状の部材も加工が可能となって楽器の形態やデザインも多様化している。素材に形が与えられたものと定義される素形材は型による形状転写という製造法であり、3D-CADで設計された形状は適材を使って精度良く成形することができる。これにより精密で高性能な部材の加工が可能となるだけでなく、軽量小型で人に優しい形状の外観のデザインも実現され、個性的で機能的な形態の楽器も誕生している。
(楽器創造館HP: http://homepage3.nifty.com/mikms/より抜粋      空川 英継 ) 

                      -- つづく --   

2007年10月23日 (火)

楽器研究という世界 ・・・(4)

  -(楽器創造館HP:http://homepage3.nifty.com/mikms/から抜粋)-

4.楽器研究の実用性

確かに研究活動は世界で活発に行われている。しかしその成果が楽器ビジネスに活きたものは数多いとは云えない。しかしどんな分野でも研究が実用に結びつく確率は高くはないと考えれば特別に嘆くことではないと思う。

ヤマハでの例を挙げれば一九六八年ごろにコンピュータを使って管楽器の音程を正しく設計する技術を開発したときにもバッカスやベネイドの先行研究をまず学びそれと独自の研究成果を組み合わせた。ピアノ弦の設計においてもヤングやフレッチャーの論文に基づき振動の非調和性の定量計算を行ったり、ワインライヒの複弦振動の位相関係論などを参考にしたこともある。

( 写真1.ピアノハンマーが打弦した瞬間の弦の形状。縦方向に二十倍に拡大されているので弦は太くハンマーは細長く映っている。(by Nagai) )

( 写真2.パイプオルガンの発音時の空気振動流が形成される様子(by Verge) )

この二枚の写真は肉眼では見えない高速現象の可視化に成功した例である。物理理論の構築、さらに楽器改良のアイディアの着想のために有効な研究結果と云えよう。

ベルリン工大のクレーマー教授は楽器研究のパイオニアの一人であり一九五〇年代からパイプオルガンの原理、バイオリンの物理特性を科学的に考察している。筆者は彼の研究室に半年間滞在し共同研究も発表させていただいたことがあるのだが本質をついた考え方に多くの感銘を受けた。日本でもこうした研究の先人たちに刺激され影響を受けその後の独自研究を積み重ねて実用に繋げてきた歴史がある。

コンピュータ音楽の作品を発表したり、ディジタル型電子楽器への応用技術が紹介される場の代表例としては前記のICMC(国際コンピュータミュージック学会)がある。一九七六年に第一回がMITで行われ、それ以来毎年世界各国で開催されている。ディジタル音楽の父と言われるマシューズやリセは当会の創立時の主力メンバであり一九八〇年代を中心にヤマハ電子楽器に大幅に採用されたFM楽音合成技術発明のチョウニングなどもこの学会でよく発表していた時期があった。近年は日本人の参加も急激に増えている。

( 写真3.第一回ICMC学会(一九七六年)におけるパネルディスカッション風景、右からアレン、マシューズ、バーコーと初期のディジタル楽音発生技術のパイオニア達が並ぶ。 )

5.まとめ

楽器の改良研究についての現状とこれまでの成果について簡単に表現するとすれば次のようになろう。

楽器から音が出ることに関する物理現象については基本的なところは解明された。しかし、音を改善、新しい音色を創造するためのヒントを与えるほどには分かっていない部分がまだまだとても多い。従って今後の研究余地は十分すぎるくらいある。世界各国で多くの個人・大学・研究機関が楽器の研究に取り組んでいる。設立されている研究学会も少なくない。日本での楽器研究者は諸大学や研究機関の他にメーカー内にも多く、研究レベルは十分世界に伍するレベルである。しかし、商品化計画に基づくメーカー内での開発業務は別とすれば、今のところ研究学会で発表される研究成果の実用性については高いとは云えない。もちろん今後は期待できるのだがそうなるためのキーポイントは資金力のあるメーカーと大学や研究機関の協力体制作りではないだろうか。

音楽の世界が新しい発展を見ることで世の中にどれくらい資するかを数値化して示すことは誰にも出来まい。しかし楽器の研究成果の人間社会への貢献が小さいとも言い切れまい。楽器の世界は前述のようにまだまだ科学的に分かっていないことが多い。優秀な人材がひたむきな研究を続けていれば改善や創造のためのアイディアは今後も山のように生じてくることは間違いなかろう。           (完)      

                 楽器創造館   永井 洋平

2007年7月24日 (火)

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